高橋ハナのいといみじ 志を保てません
私の本名はしほという。漢字を尋ねられたときはずっと「志を保てない、です」と答えてきた。せっかく勉強して入った中高一貫の女子校、短大も大学もあるよ!という学校を中学だけで辞め、特待生だった予備校には途中で行かなくなり、浪人して入った大学は3年生が終わる頃に中退、バツ2、転職多数。うん、我ながら志を保てていない。
自他ともに認める中途半端な人間だったわけだが、ある日連れに「きみはやるって決めたら絶対やめないから」と言われて「ん…?」となった。
世界の理を知りたいと小学生の頃から思い続け、可能性を見出したので2年くらい日がな一日瞑想するような生活を送った。必要だと思えば国内外を問わず身を運んで自分の目で見て、ヒエログリフとアラビア語を読めるようにした。インカのシャーマンに教えを請いつつケチュア語とスペイン語のテキストをやり、アメリカの形而上学をやるオンライン神学校にも入った。知識もないのに浮かんできた占星術の読み方に従い、2万6000個ある小惑星をClaudeに総ざらいさせたりもした。連れに「きみは狂人だ」と言われ続けてきたが、書いてみるとなるほど納得。
要するに、私は自分で選んだことなら納得できるまでやる人だったのだ。そもそも世間の「いい」をいいと思うように生まれついていないので「いい大学に入るため」の勉強は意味を持たない。世界中の人と話したかったので英語だけは勉強していたが、地学あたりはまったくやる意味がわからなかった。意味がわからない行動はしないので勉強もしない。ちなみに私が高校を卒業できたのは地学準備室と物理準備室を合計2週間掃除しに行ったからだ。
まあそんなことはどうでもいいのだが、私は自分が志を保っていたことに気がついた。10歳の頃から一貫して世界の理を知りたくて、それは誰に評価されようとされなかろうと関係ない。いわゆるメタフィジックスを教えているが、こんなとんでもない道が一般受けするわけがないと思う。それでも届いたことを人に渡していけばいつかは正直者が報われる世界になるはずだから、細々とこんなサイトを作ったりしている。自分がやりたいことをわりとマジメにやっているうちに、私は名前の通りの人生を送るようになっていたのだ。
ちょうど先日のセミナーで、生徒2人が無限大の中点を超えた。「自分の進む道」のエネルギーを渡して翻訳してもらったのだが、言葉として出てきたのは彼女たちが一番苦手だと言ってきたことだった。私が志を保てなかったように、中点を超えたことで彼女たちの名前も本来の意味を表現していくだろう。例えばフラフラと目的の定まらない生活をしていた「蓮」さんは中点を超えたら努力して美しい花を咲かせる人生を送るようになり、「恵」さんは自分が持っていたものに気づく。世界に憤りを感じていた「諒」さんなら納得して赦せるようになるし、「裕子」さんは自分以外の観点から物事を見る余裕を持つようになる。
「苦手なこと、避けたいことの中にその人が今世やるテーマが隠れている」ことに気づいたとき、世界の理ってなんて意地悪なんだろうと思った。私は他人の人生にできるだけ口出ししたくなかったし、自分の言葉に左右される友達とはあまり仲良くなれないと思ってきた。なのに、エジプトから帰ってきた私の口からは「私は人の運命を元の形に戻すスイッチを押す人間なんです」なんて言葉が勝手に出てきたのだ。 ※昔金魚堂のアメブロに書きました タクシーの中で
人生は寿命のちょうど半分が折り返し地点になっているわけではなく、歪な∞の形の中点が折り返しだ。そして中点を超えるというのは、幼い頃から積み重ねてきた「押しつけられた自分像」を剥がして本質としての自分に戻ることだと思う。
本質としての自分に戻った結果、連れから「はいはいお姫さまお姫さま」とあしらわれているのは気のせいだと思いたい。