
生を踊った裸足の巫女 イサドラ・ダンカン 境界の芸術家たちシリーズ
Arnold Genthe (1869–1942), Public domain(左), Bain News Service, Public domain(右),
ウィキメディア・コモンズ経由で 境界の芸術家たちシリーズ
アメリカ人舞踏家、イサドラ・ダンカン(1877–1927)。アレイスター・クロウリーをして彼女のダンスには魔術的なものを感じると言わしめた「モダンダンスの母」だ。クラシック・バレエが主流だった時代に裸足で舞台に立ち、古代ギリシャを思わせる衣をまとい、バレエ用の音楽ではなくショパンやベートーヴェンで踊った。
イサドラの生涯
彼女は幼い頃、海辺で自由に踊っていたという。「私の芸術の源泉は大地にある」という言葉は、幼い頃の経験が背景にある。裸足で大地や水を感じながら踊る。それがイサドラにとっては心地よく、魂を躍らせるものだったのだ。
自伝『わが生涯(My Life)』では「I bring to your theater the life of the soul, which you need.(私はあなたの劇場に、あなたが必要としている魂の生命力を運ぶ)」、小冊子『The Dance』では「The dancer’s body is simply the luminous manifestation of the soul.(ダンサーの身体は、魂の光が現れたものにほかならない)」と語ったイサドラ。彼女にとってのダンスとは、むき出しの魂を見せる行為だったのかもしれない。
1913年、イサドラは幼い娘と息子をセーヌ川への車の転落事故で失う。だが彼女は「悲しみこそ踊らねばならない」と言って舞台に立ち続けた。彼女は亡き子供たちのために「母」というダンスを創作し、それを元に2019年には『イサドラの子供たち(Les Enfants D’Isadora)』という映画が制作されている。
その後彼女はソビエト政府の支援を受けた舞踊学校をモスクワに設立する。授業では呼吸と自然の動きを大切にし、辺りを走り回るように動くこともあったという。対立して政府からの支援金が受けられなくなっても、彼女は無償で教え続けた。「私の踊りは未来の女性に捧げられている」―彼女は子供たちに自らの魂を伝えようとしていた。
そして1927年、南フランス・ニース。巻いていた長いスカーフがオープンカーの車輪に絡み、転げ落ちた彼女は首の骨を折って49歳でその華やかな生涯を終えた。あまりにも突然だったが、自由な魂を持った彼女らしい最期だと言われている。
イサドラとスピリチュアルとしてのダンス
イサドラは魔術協会やオカルトに近かったわけではないが、スピリチュアルな観点を持っていたことが言葉からわかる。
“Dance is the movement of the universe concentrated in an individual.”
ダンスとは、宇宙の動きが個に凝縮されたものだ。“Art is not necessary at all. All that is necessary to make this world a better place to live in is to love – to love as Christ loved, as Buddha loved.”
必ずしも芸術でなくてもよい。この世界をよりよい場所にするために必要なのは愛だけだ―キリストが愛したように、ブッダが愛したように。“I spent long days and nights … seeking that dance which might be the divine expression of the human spirit through the body’s movement.”
私は何日も何夜も費やした。ダンスがどうすれば身体の動きを通じて人間の魂の神聖な表現になり得るのかを探し続けた。
イサドラの魂に触れるために
ダンサーではなくても、私たちはイサドラの魂に触れることができる。彼女は自由に身体を動かし、自らの自由な魂を表現した。時には靴を脱いで大地に直に触れ、呼吸に合わせて身体を揺らす。好きな音楽を聴きながら自由に動く。感情の赴くままに身体を動かしてみる…。彼女は「私はただ自分の人生を踊ってきた」と言ったが、私たちも自由に自分の人生を踊ることができるのだ。

