調律を拒んだハルモニウム ニコ 境界の芸術家たち
完璧な音楽
チェルシー・ホテルの一室で、ニコがハルモニウムを踏む。イギー・ポップだけがそれを聞いている。ステージも照明もない部屋で、調律の狂った足踏みオルガンの低い音と引きずるような声が空気を震わせていた。曲は「Janitor of Lunacy」。
「たった一人のための演奏だった。あれは人生で数少ない『完璧な音楽』と呼べるものに立ち会った瞬間だ。音楽とメロディと雰囲気と文学が全部同時に生まれていた。ステージも照明もチケットもなしに」。イギーは確信していた。「いつか人々がヴァン・ゴッホを見る目で彼女の音楽を聴く日が来る」。この音に辿り着くまでに、ニコは多くのものを手放してきた。名前、息子、平穏だった生活 — どれだけ笑われても、彼女は自分の声で歌い続けた。
ニコという名前
ニコ、本名クリスタ・ペフゲン(Christa Päffgen)は1938年、ドイツのケルンに生まれた。父のヴィルヘルムは国防軍に召集され、ある伝記作家によれば頭部を狙撃されて上官がとどめを刺したというが、精神病院で余生を過ごしたという説もある。ニコが話す父の死はその時によって変わった。強制収容所で死んだ、砲弾の後遺症で消えたなど、どれが本当かはわからない。あるいは本人にもわからなかったのかもしれない。
母マルガレーテと逃れたベルリンは瓦礫の山だった。のちにニコは「レンガの砂漠」と呼び、「まだそのイメージが夢に出てくる。歌詞の裏に隠れている風景」と話した。戦争が終わっても、瓦礫はニコの中から消えなかった。13歳で学校を離れ、高級百貨店カーデーヴェーのランジェリー売り場に立った。15歳のとき米軍の兵士に暴行を受けたとされている。
そして16歳のとき、ファッションショーの現場にいた写真家ヘルベルト・トビアスに見出される。彼は片思いしていた映画作家ニコス・パパタキスの名前を取って少女に芸名をつけた。片思いの残り香が少女が一生呼ばれ続ける名前になるとは誰も思っていなかっただろう。パリに渡ったニコはヴォーグの表紙を飾り、17歳でココ・シャネルと契約した。7カ国語で本を読み、ニューヨークタイムズのクロスワードを最速で解く女だったが、求められていたのはその美貌だけだった。
ニコの友人だったキーボード奏者ウナ・ベインズは著作に書いている。「彼女が唯一後悔しているのは、男に生まれなかったことだと言っていた。みんな自分の見た目にしか興味がないと感じていた」。自分の頭で考える人間なのに、どこに行っても「美しい顔」としか扱われない。
ニコは怒っていた。「人は私を礼儀知らずだと思ってるけど、お世辞や社交辞令はあまりにも無意味に思える。強制されたくない。自分の感じるままでいたい」。ニコは思ったことをそのまま口にし、怒れば怒鳴り、嫌なものは嫌だと言い、嘘をつくときは堂々とつく人間だった。ジャーナリストの友人ダニー・フィールズは、ニコが時々ユダヤ人をこき下ろすのを聞いていた。「でもぼくはユダヤ人だよ」と言うと「うんうん、あなたのことじゃないわ」と答えたという。