クロード・カーン

名前のない兵士 クロード・カーンとマルセル・ムーア

境界の芸術家たちシリーズ

ドイツはもう負けている

 1944年7月25日の夕方。ジャージー島サン=ブレラードの花崗岩造りの家に、5人の警察官が令状を持って踏み込んだ。テーブルには二人分の夕食が並んでいる。家の住人はルーシー・シュウォブ(Lucy Schwob)、50歳とシュザンヌ・マレルブ(Suzanne Malherbe)、52歳。彼らは島の住民に密告されたのだ。警官たちが二人を監視する中、ルーシーとシュザンヌはフェノバルビタールの錠剤を飲み込んだ。二人はいつか来るこの日のために準備をしていた。ルーシーは言った。「遅すぎた。ドイツはもう負けている」と。

 薬は致死量には足りず、一週間以上意識は戻らなかったが二人とも死ななかった。ドイツ軍はこの二人を捉えるまで、4年間も犯人を探し続けていた。島中にばらまかれた6000枚以上の反ナチのビラ、風刺詩、パロディ、偽の軍内部文書—署名はすべて「名前のない兵士(Der Soldat ohne Namen)」だ。ドイツ軍は組織的なレジスタンスがいると考え、反乱分子を探して島じゅうを走り回っていた。だが蓋を開ければ、犯人は組織的なレジスタンスでも反乱分子たる兵士でもなく、たった二人の中年の女だ。一人はユダヤ人で、もう一人はドイツ語が流暢なフランス人。二人はパリではクロード・カーン(Claude Cahun)とマルセル・ムーア(Marcel Moore)という名前で知られる、シュルレアリスムの写真家とその伴侶だった。

落雷のような出会い

 ルーシーは1894年にフランスのナントで生まれた。父は新聞社の経営者、叔父のマルセル・シュウォブはオスカー・ワイルドと親交のある象徴主義の作家という知的な家系だが、母親は精神を病んでルーシーが4歳のときに施設に入ったまま戻ってこなかった。ルーシーは盲目の祖母に育てられ、ナントの学校では反ユダヤ主義の嫌がらせを受けてイギリスの寄宿学校に転校している。10代になったルーシーは拒食症で自殺念慮を抱えていた。

 彼女は15歳のとき、2歳年上のイラストレーター、シュザンヌ・マレルブに出会った。自分を前に押し出すタイプのルーシーに対して、シュザンヌは一歩引いて静かに手を動かす。ルーシーはこの出会いを「落雷のような遭遇」と表現している。数年後、未亡人だったシュザンヌの母がルーシーの父親と再婚、恋人同士だった二人は義理の姉妹になった。書類の上では姉妹、現実では一生の伴侶。この関係は、片方が死ぬまで続いた。

すべての顔を剥がし終えることはない

 二人はパリに出て、ルーシーはクロード・カーン、シュザンヌはマルセル・ムーアと名乗るようになる。クロードもマルセルも、フランス語では男女どちらにも使える名前だ。生まれたときにつけられた名前を脱ぎ捨て、中世的な名前を纏い直す。カーンは後に書いた。「男性的?女性的?それは状況によって変わる。常に私に合っているのは中性だけだ」。

 モンパルナスの自宅に開いたサロンには、アンドレ・ブルトンやロベール・デスノスが出入りしていた。シルヴィア・ビーチの書店シェイクスピア・アンド・カンパニーとも懇意だった。カーンは前衛劇場ル・プラトーの舞台に立ち、ムーアは舞台美術と衣装を手がけていた。

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