町じゅうを問い詰めた虻 ソクラテス
広場のうるさい男
その男は、まったく賢者らしい見た目ではなかった。ぺちゃんこの鼻に飛び出した目、でっぷりとした腹。アテナイの人々が美しいと判断する基準とは、すべてが逆だった。年がら年中粗末なコートを着て裸足で歩き回り、冬の凍った戦場でも平気な顔をして氷の上に立っていた。まともに働きもせず朝から広場をうろついては、通りすがりの誰かをつかまえて問答をふっかける。ソクラテス(Σωκράτης)はそんな男だった。
「あなたは勇気が何かご存じですよね」「正義とは何でしょう」。ソクラテスの質問は、最初は穏やかなものだった。だが相手が答えると、その矛盾を一つずつ突いていく。立派なことを語っていた相手が、最終的に自分は何も分かっていなかったと認めさせられる。見物していた若者たちは大喜びで、こぞって真似し始めた。
だが論破された人間たちはたまったものではない。ソクラテスが家に帰ると、妻のクサンティッペ(Ξανθίππη)は怒鳴り散らした。いくら罵っても動じないソクラテスに腹を立てた彼女は、あるとき尿瓶の中身を頭から浴びせたという。ソクラテスは平然と「雷が鳴ったあとは雨が降るものだ」と言ったという。
ソクラテスはなぜ問い続けたのか
ソクラテスがこんなことをしていたのには理由があった。
あるとき、弟子の一人がデルポイの神託を持ち帰った。曰く「ソクラテスより賢い者はいない」と。だがソクラテス本人はそれを信じることができなかった。自分は何ひとつ知らないのに、なぜ最も賢いことになるのか?と。彼はそれを確かめるため、賢いと言われていた人々の元を訪ね歩いた。だが政治家や詩人と話してみると、彼らは何も分かっていないのに分かったつもりでいただけだった。
やがてソクラテスは神託が腑に落ちた。自分は確かに何も知らない。だが、自分が知らないということだけは知っている。その点で知ったかぶりをしている連中より少しはにましだ、と。これが後に「無知の知」と呼ばれるようになった。
ソクラテスは言った。アテナイは血統のよい、だが図体が大きくいつも眠りたがっている馬だ。自分はその尻にたかって刺し続ける虻であり、アテナイを目覚めさせるために神がよこしたのだと。眠っていたい相手にとっては、これほど鬱陶しいものはないだろう。
危険思想
ソクラテスの問いの怖さは、「当たり前」の概念をを疑わせるところにあった。ソクラテスは国家が祀る神々ではなく、自分の内側で聞こえる声、ダイモニオンに従うと公言した。伝統や権威に因らず、自分の頭で考えて決めると言ったのだ。共同体の決まりを根底から揺さぶるような思想だ。しかも彼の問答にかかれば、自分が信じてきた常識には根拠がなかったことに気づく。
そこに政治が絡んだ。当時のアテナイはスパルタとの長い戦争に敗れたばかりだった。敗戦後に独裁政権を作って市民を大量処刑したクリティアス、遠征に失敗し敵国へ寝返ったアルキビアデスの二人は、かつてソクラテスに学んだ若者だった。国を傾けた者たちを育てたのはあの虻ではないか―市民たちはそう疑い始めた。
褒美をよこせ
紀元前399年、70歳のソクラテスは法廷に立たされた。罪状は「国家の神々を認めず、若者を堕落させた」というものだ。頭を下げれば命は助かったが、ソクラテスはそうしなかった。最初の投票で有罪となってふさわしい刑を問われたときは、罰どころか公会堂での食事を要求した。それはオリンピアの優勝者に与えられる、市で最も名誉ある待遇だった。自分は市民の魂を気にかけてきたのだから、罰ではなく褒美を受けて当然だ、と言ったのだ。法廷はどよめき、同情していた者まで反感を覚えた。そして二度目の投票では死刑を求める票が増えた。ソクラテスは自分自身の言葉で死刑を引き寄せたのだ。
逃げなかったソクラテス
弟子たちは脱獄を手配しようとした。その金も伝手もあったが、ソクラテスは断った。どれほど不当な判決だとしても、命惜しさに生き方を曲げたら、それまでに問い続けてきたことが嘘になってしまうという理由だった。処刑の日には毒入りの杯を冷静に飲み干し、その近くでは弟子のプラトンたちが師の最期を書きとめた。アテナイを指し続けた虻の思想は弟子の手で文字になり、二千四百年経った今でも私たちを目覚めさせようとしている。