無限の宇宙に神を見た修道士 ジョルダーノ・ブルーノ
魔術のような記憶術
フランス王アンリ3世はパリの宮廷にある男を呼び寄せて、直に確かめようとしていた。書物を丸ごと頭に入れるというので評判になった男だ。王は尋ねた。「お前のその力は魔術によるものか、それとも学問によるものか」と。尋ねられたジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno)は学問だと答え、証として記憶術を披露してみせた。王はブルーノをいたく気に入り、講師に取り立てる。
だが、ブルーノが弟子たちに教えていたのはただの暗記の技術ではなかった。彼は覚えたいものそれぞれを象徴するイメージを使った。例えば「戦い、鉄、怒り」といった火星に関連する知識を「戦車に乗った赤い鎧の戦士」というシンボルに凝縮する。ブルーノは人間だけでなく、獣や草木、無生物もシンボルとして使った。とりとめのない観念は覚えにくいが、生き生きとしたシンボルなら忘れようがない。それを思い出すことで関連する知識を丸ごと引き出すのだ。
次に、ホロスコープのように区切った円盤を思い浮かべ、それぞれの区画にシンボルを置いていく。想像上の円盤はひとつではなく、大きさの違う円盤を軸を揃えて何枚も重ねた。円盤ごとにカテゴリが分けられ、神々や霊の円盤、獣や草木の円盤だけでなく文字や記号を置く円盤もある。そういった円盤を一枚ずつ別々に頭の中で回すと、上の円盤と下の円盤で重なるシンボルの組み合わせが変わり、記憶の中身が特定される。そうやって宇宙の万物をそっくり頭に収めてしまうのだ。
ブルーノが根拠にしていたのは、古代エジプト神官たちの叡智が元になったとされるヘルメスの教えだった。「この世の万物は星々の力が地上へ流れ込んで形作られ、すべては生きていて目に見えない糸で繋がり合っている」。だとしたら、星々の姿を正しい並びで覚えることは頭の中に宇宙の縮図を持つことと同じだ。王には学問と答えたが、その中身は限りなく魔術に近い。十七歳で入ったドミニコ会の修道院にいられなくなったのも、この記憶術のような、修道院にとっては危険な考えを口にし続けたからだった。
宇宙に中心などない
1583年、ブルーノはオックスフォードを訪れた。フランス王の推薦状まで携え、職を得ようとしたのだ。彼はコペルニクスの地動説について学者たちに論争を仕掛けた。「地球は動いている」。これだけでも口にするのは危険だが、そう考えている者はいた。だがブルーノはそこでは止まらなかった。
「太陽ですら無数にある星の一つに過ぎない。宇宙に果てはなく、中心もない。空の向こうには地球と同じような世界が数えきれないほどあって、全てが生きている。星も足元の石ころも、魂を持たないものなど一つもない。そして神は、この生きた宇宙を上から見下ろしてなどいない。神とは宇宙そのものだ」。
講堂中がざわめく。世界は神が造った唯一のものだと信じてきた学者たちにとって、これは聞き捨てならない話だった。アリストテレスを持ち出して反論する教授たちを、ブルーノは古くさいと鼻で笑う。彼は多くの論争を巻き起こした結果、オックスフォードを追われた。
それでもブルーノが自説を取り下げることはなく、ロンドンで過ごした二年半で『無限、宇宙および諸世界について』などの著作を書き上げていった。望遠鏡もない時代にこの結論をもたらしたのは、レンズではなくヘルメスの教えだった。宇宙はあらゆるものが生きて繋がり合っているのだから、地球という一つの世界だけしかないはずがない。ブルーノはそう確信し、誰も見たことのない無限の宇宙について語り続けていた。