黒い太陽の儀式 アントナン・アルトー
境界の芸術家たちシリーズ
黒い太陽
1936年の秋、メキシコ北部のシエラ・タラウマラ。痩せこけたフランス人が馬に体を縛りつけられるように山を登っていた。アントナン・アルトー(Antonin Artaud)は、山に入る前に最後のヘロインを崖に投げ捨てていた。禁断症状で立つこともできず、自分の体が炎症を起こした巨大な歯茎のようだと思っていた。彼は登り続けた。ヨーロッパが理性と引き換えに失った何かが、この山の先にあると信じていた。
辿り着いたのはララムリ、当時はタラウマラと呼ばれていた先住民の村だ。彼らはシクリというペヨーテの儀式を行う。アルトーはそこでトゥトゥグリの踊りに加わった。黒い太陽が昇り、黒い太陽が昇って十字架が消え、新しい太陽が生まれる踊りだという。「ペヨーテは自我を本当の源へ連れ戻す」とアルトーは言う。あの三日間は人生でいちばん幸福だった、と。生きる理由を探して自分を責め続けるのをやめ、重たい体を引きずって歩く必要すらなくなったと思った。アルトーはそれまで、ずっと体から出ていきたかった。
マルセイユの病んだ子供
1896年9月4日、アントワーヌ・マリー・ジョゼフ・アルトー(Antoine Marie Joseph Artaud)はマルセイユで生まれた。両親はいとこ同士で、祖母たちはスミルナ(現在のトルコ・イズミル)出身の姉妹だった。母は9人の子供を産んだが、成人できたのはアントナンと姉だけ。死は生まれたときからすぐそばにいた。
4歳のときには髄膜炎で昏睡状態に陥る。一命はとりとめたが、後遺症として頭痛と神経痛、吃音、そして激しい鬱が残った。痛みを抑えるためのアヘンは、彼を生涯離さない依存の鎖に繋いだ。少年期から青年期にかけては療養所に閉じ込められていた。自分の意思とは無関係に施設に収容されるというパターンは、この頃から始まったものだ。アルトーにとって、肉体を持つことは最初から罰のようなものだった。
残酷演劇
アルトーはやがてパリに出て、その顔が知られるようになった。アベル・ガンス監督の『ナポレオン』で革命家マラーを、カール・ドライヤー監督『裁かるゝジャンヌ』では若い修道士マシューを演じている。落ちくぼんだ目と特徴のある頬骨は、一度見たら忘れられない類のものだ。
アンドレ・ブルトン率いるシュルレアリスム運動にも関わったが、運動を共産主義と結びつけようとする流れに反発して除名された。アルトーが求めていたのは政治ではなく、観客の魂を殴りつけるような舞台だった。
彼はそれを「残酷演劇(Théâtre de la Cruauté)」と呼んだ。血や暴力ではなく、眠った意識を叩き起こすような容赦のなさを指す。台本も心理描写も捨て、音と光と身体だけで観客を揺さぶり、疫病のように感染させる。著書『演劇とその分身』では、ペストの蔓延と演劇は同じものだと論じた。実際にペストを題材にした上演では、その音響の生々しさに嘔吐した客もいたという。
1935年には近親相姦と殺人がテーマの『チェンチ一族』を演出した。観客を取り囲むように音が聞こえるという実験的な上演だったが、興行は完全に失敗した。打ちのめされたアルトーはヨーロッパの劇場に見切りをつけ、生きた儀式が残っている場所—メキシコへと向かう。