『メキシコの神々』第二章・2-6 太陽と月の分離と創造をめぐる諸説
※『The gods of Mexico』Lewis Spence 翻訳した文章©StellaCircus
赤に染まる東の空
神々がナナワツィンが蘇るのを待っていると、やがて空が赤く染まり始めた。神々は恐れて跪いたが、光がどこから来るのか分からなかった。夜明けの光は四方を照らしたが、ケツァルコアトル(エエカトルとも呼ばれる)、トテック、テスカトリポカたちは太陽が最初に現れると考えて東の方角を見ていた。ミミシュコアと呼ばれる無数の神々と、ティアカパン、テイク、トラコエワ、ショコヨトルという4柱の女神もその場にいた。
昇った太陽は真っ赤で、まともに見ると目が潰れたという。月も同時に現れて太陽と同じ強さで輝いた。神々はそれを好ましく思わず、一柱が兎を掴んで月の顔に投げつけた。兎はそのまま月に残って月の光を曇らせている。
神々の死とショロトル
太陽と月は天に昇ったが動かず、かつて仲間だった神々を嘲った。「死すべき身の恥をさらしたままでいるつもりか。全員死んで星々に命を与えろ」。風がその役目を引き受け、神々を一柱ずつ殺していった。
ショロトルだけが死を拒んだ。命乞いをして泣き、あまりに泣いたために両目が落ちた。捕まりそうになると逃げてトウモロコシ畑に隠れ、二本の根を持つ茎—農民がショロトルと呼ぶ茎に化けた。見つかったためマゲイの群生の中に逃げ、二股のマゲイ、メショロトルに化けた。三度目は水へ飛び込んでアショロトルという魚になった。だがそこで捕まり、殺された。
神々が死ぬと風が激しく吹き、太陽はようやく天を渡り始めた。月はまだ動かなかった。こうして二つは離れ、別々の時刻に昇るようになったのだ。
七日間の創造
『クアウティトラン年代記(Anales de Cuauhtitlan)』は創世記と同じように、世界が7日で創られたと記している。トチトリ(兎)の日に大地、アカトル(葦)の日に天、テクパトル(燧石)の日に動物、7日目のエエカトル(風)の日に塵か灰から人間が作られた。それを仕上げたのがケツァルコアトルで、人類から見れば造物主に位置づけられる。だがこの神話は後から手を加えられたものか、もしくは後代の創作であることはまず疑いない。ただし太陽と月の創造については、オルモスとサアグンの記述を裏づけている。
創造をめぐる諸説
カマルゴによれば「トラスカラ人にとって世界は創られたのではなく偶然できたもので、空間は初めから存在していた」という。ベイティアは「メキシコ人はトロケ・ナワケ(トナカテクトリ)が世界と人間を創造したと信じていた」と書き、これはボトゥリーニも同様だ。サアグンからは「テスカトリポカとケツァルコアトルが宇宙の存在に関わる創造のスピリット」と考えられていたことがわかるが、クラビヘロはもっとはっきりテスカトリポカを「世界の魂、天地の創造者、万物の主」と呼ぶ。もっと古いメンディエタは「世界を作ったのは複数の神々で、中でもテスカトリポカ、ウィツィロポチトリ、そしてオセロプチトリという知られざる神だ」とした。オセロプチトリは、サアグンの話にあった豹にあたる。
サアグンの創造の記述は物足りないもので、太陽と月の出現だけで神々と人間の創造には触れていない。あれほど神話を集める手段を持っていた人物としては奇妙だが、彼は司祭だったため物語より儀礼の細部に関心を持っていたのだろう。神話を「馬鹿げたもの」と見ていたのだ。
イシュトリルショチトルについては評価を疑う声がある。だが彼の創造についての記述は、聞いた話をそのまま伝えたと見てよい。彼の情報源は本来きわめて貴重なものだったはずだ。イシュトリルショチトルが伝えた創造神話では、惑星を作った創造者トロケ・ナワケが一組の男女を生み、そこから人類が広がっていく。これに似た話はメキシコ神話には存在せず、古代ペルーの人間創造を除けばアメリカ大陸の神話にも見当たらない。比較的新しい神話か、もしくはキリスト教との接触で生まれた考えだろう。ただこれは彼自身の創作という意味ではない。