アクテンアテンという言葉を知っている方はかなりエジプトやスピリチュアルに造詣が深い方かもしれません。世界史で登場する名前はアメンホテプ四世、エジプト第18王朝のファラオだった人物です。片目のない美しい胸像で知られるネフェルティティを妻に持ち、二人の間にはメリトアテンやアンケセナーメンなど6人の娘がいました。アクエンアテンとミタンニ出身であろうもう一人の妻キヤとの間に生まれたのがかの有名なツタンカーメン(Tut-Ankh-Amen)です。ツタンカーメンの名は元々ツタンカーテン(Tut-Ankh-Aten)でした。ちなみにツタンカーメンは異母姉であるアンケセナーメンを唯一の妻としています。
ヒエログリフでは 𓇋𓏏𓈖𓇳𓅜𓐍𓈖 、アテン(Aten) アク(Akh) ン(n)となり(神名は一番最初に書く決まりがある)、Akhnatenでアクエンアテンとなります。英語ではイクナートンと呼ばれることも。「アテン(アトン)に有益なる者」と訳されることが多いですが、アクは冥界で祝福を受けたのちの魂(古代エジプトでは人間の魂はバー・カー・アクに分けて考えられます)を表し、アテン(アトン)が冥界をも司る太陽の光だということを考えると「アテンの魂」という意味の方がしっくりくるのではないでしょうか。元々古代エジプトではファラオは神の子だとされていましたが、アクエンアテンは自分を人間として存在するアテン(アトン)だと主張したかったのかもしれません。
アクエンアテンはワセト(テーベ、現在のルクソール)からアケトアテン(現在のアマルナ)に都を移しただけでなく、大きな宗教改革を行ったことで知られ、この一連はアマルナ改革と呼ばれています。アメン(アモン)=ラーを中心として多くの神々を許容されていた神官たちはそれまでの特権を失い、アテンだけが神であってほかに神は存在しないという啓示を受け入れるよう求められました。