世界には天才と呼ばれた人々が数多く存在します。レオナルド・ダ・ヴィンチ、アリストテレス、ソクラテス、プラトン、エジプトのイムホテプ、天才といわれたアインシュタインが世界一の天才と呼んだジョン・フォン・ノイマン…。それぞれの成し遂げたことは違っても、世界に名を残した人ばかりです。現在のようなテストがなく正確にはわからないものの、ダヴィンチのIQは180-190や200などと言われています。アインシュタインのIQは160-190、アリストテレスは180-190ととんでもない数字が並びますが、中でもコンピューターの基礎となる演算方式や原子爆弾を生んだノイマンのIQは人類最高と言われ、なんと300!一般的な人のIQは90-109が平均の範囲、110以上は高いIQ、120-129で優秀、130を超えると非常に高い知能とされています。
では、優秀とか知能が高いというのはどういうことなのでしょうか。
IQテストで測る分野は、言葉を理解しているか・見たものを身体を動かして処理できるか(地図を見て歩くなど)・処理能力・ワーキングメモリ(短期記憶)です。この中でも特にワーキングメモリ、作業記憶を鍛えることで大人でも伸ばすことができると言われています。
人間の感覚には名前をつけられないようなものがあります。その多くはIQテストには含まれていませんが、専門家の中には音楽を作ったり演奏したりする能力やスポーツ選手やダンサーなどの高度に身体を動かす能力、周囲の人たちとうまくやっていく対人能力なども知能に含まれると考える人もいます。アルキメデスがお風呂の中で体積を量る方法をひらめいたのは、私たちにもたまにある突然ピンと来る感覚でしょう。ピカソがおもちゃの車から『ヒヒの親子』を生み出したのは、まったく異なる概念を持った何かを別の何かに繋げるという能力で、例えば世界で初めて歯ブラシを掃除に使った人にはこの感覚があったに違いありません。
私たちがいう「天才」は、今まで「ものすごく勉強ができる人」だったのではないでしょうか。古代からの天才たちのように新しい数学や物理の定理を思いつくことも、藤井聡太七冠のように将棋盤を頭の中で思い浮かべずに何十手何百手も読むのは誰もできないでしょう。オリンピックの選手たちのように身体を動かすことも、エリザベス・テーラーのように何度も結婚するのもきっと難しいと思います。私たちは自分ができないことをする人たちに憧れて「○○の天才」という称号を誰かにつけてきました。その中には幸せに生きた人もいれば相当に厳しい人生を送った人もいて、天才か否かは幸せな人生を過ごす上ではあまり関係ないようです。
私たち一人一人が特定の分野においては天才なのではないでしょうか。そしてそれはおそらくIQテストでは測れない才能です。家族の口に合うご飯を作り続けてきたお母さんはその家族にとってご飯作りの天才ですし、その人がいるだけで場を和ませるような人は空気を和らげる天才と言えるでしょう。世界の人たちから天才と言われるわけではなくても、自分独自のの才能を生かせればいいですよね。