学生の頃に「日本人は単一民族」と教えられた方は多いと思います。ですが、教科書にも「渡来人」が朝廷の要職についていたことが記載されており、「日本人」という概念は長い時間を経て複雑化していったことがわかります。当時「渡来人」と呼ばれた人々は日本に定住し、混血を通じて「新しい日本人」になっていったのです。「渡来人」は概ね中国系や朝鮮系に分類されてきましたが、日本に来る前の民族的な分類は不明です。秦の始皇帝がユダヤ系だった可能性も示唆されており、もしそれが事実だとしたら、ユダヤの血統が中国系として古代日本にもたらされた可能性があることになります。
バビロン捕囚によってユダ王国からバビロニアに強制移住となった人々は、アケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼして初代王・キュロス二世が勅命を出すまで、数十年に渡って故郷に帰れませんでした。アケメネス朝ペルシアは戦国時代の秦と時代が重なっていて、領土は現在のカザフスタンなど中央アジアに跨っています。遊牧民が暮らすこの地域では、匈奴との争いが頻発していました。
ユダヤ系の人たちの中には、匈奴に捕えられて奴隷として売られた人や、ペルシアを出て秦に行った者もいたでしょう。かつて秦のあった陝西省に接する四川省には羌族が住んでいますが、彼らはイスラエルの調査機関アミシャブによって失われた10支族のマナセ族だとされています。そして秦から逃亡した人間も多かったという百済・新羅から渡来した弓月君は、秦氏の祖先として知られる一族です。一族の大元・月氏の勢力圏は匈奴が活動していたエリアと重なっているため、秦氏はユダヤ系だと考えられます。
日本の神道とユダヤ教の共通点はよく知られています。伊勢神宮の籠目紋(六芒星)とダビデの星、年越しと過越の祭、7月17日に行われる祭りなど、驚くほど似ています。山伏の兜巾と祈る時にユダヤ人が額につける「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱、神社の構造や狛犬(古代ソロモン神殿の前に置かれたライオン)、神輿とアークなど、大きな違いを見つけようとする方が難しいかもしれません。
長野県の諏訪地方には「守屋山」があり、御頭祭(75頭の鹿の頭を捧げる)が行われています。イスラエルでソロモン王の神殿があった丘は「モリヤ」で、過越祭では75頭の羊が贄となりました。鳥居(「トリイ」は古代アラム語で「門」)も、モーセの出エジプトの際に玄関の柱二本と鴨居に羊の血を塗って「殺戮の天使」による被害を避けたという伝承と関連すると考えることができそうです。
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