ヒップホップ史において、デス・ロウ・レコード(Death Row Records)という存在はひときわ異彩を放つレーベルだ。その創設には犯罪と音楽が交錯し、デス・ロウが手掛けたアーティストたちの曲はギャングスタ・ラップと呼ばれてきた。デス・ロウの誕生には、影の重要人物がいる。それがマイケル・“ハリー-O”・ハリス(Michael “Harry-O” Harris)だ。
ハリー-Oは、80年代にロサンゼルスで麻薬取引によって莫大な富を築いた。1988年に殺人未遂と麻薬密売の罪で有罪判決を受け、トランプ大統領の恩赦で7年短縮とはなったものの33年間獄中にいた。だが、獄中にいながらもビジネスの才覚は衰えなかった。
1991年、ハリー-Oは当時の妻リディア・ハリス(Lydia Harris)を通じて、デス・ロウ・レコードに約150万ドルの資金を提供。シュグ・ナイト(Suge Knight)やドクター・ドレー(Dr.Dre)たちと共にレーベルを立ち上げた。デス・ロウのスタートアップ資金は、刑務所の中にいた一人のギャングスタによって提供されたのだ。かつてドクタードレーが在籍していたN.W.A(Niggaz Wit Attitudes)が『ストレイト・アウタ・コンプトン』で歌ったように、カリフォルニアには全米でも屈指の治安の悪い街があり、そこから抜け出すにはラップしかなかった。
だがシュグ・ナイトは、ハリー-Oを裏切ってレーベルを独占した。敵対するレーベルには暴力で脅しをかけ、2パックやノトーリアス・B.I.G.の殺害事件への関与、力ずくでヴァニラ・アイスの大ヒット曲「Ice Ice Baby」の権利を奪ったなど、黒い噂がついて回った。本人も何度か銃撃を受け、そのたびに生き延びている。
デス・ロウ・レコードの黄金時代
シュグ・ナイトの暴力的な支配とは裏腹に、デス・ロウ・レコードは90年代の西海岸ヒップホップの象徴となった。
・ ドクター・ドレー の『The Chronic』は、Gファンクの金字塔。 ・ スヌープ・ドッグ(当時はスヌープ・ドギー・ドッグ)の『Doggystyle』は全米1位を獲得。 ・ 2パック(Tupac Shakur)の『All Eyez on Me』は、ヒップホップ史上屈指の名作に。
だが、成功の裏でシュグ・ナイトの暴力的な支配がエスカレート、アーティストたちは次々に離脱していく。1996年の2パックの射殺事件は2023年まで未解決で、結果的にはギャング同士の報復だったがシュグ・ナイトが犯人なのではないかと噂になった。そしてシュグ・ナイトの刑務所入りを経て、デス・ロウは衰退していくことになる。
リディア・ハリスに起こされた訴えだけでなく、あらゆる方面からの訴訟を抱えたデス・ロウは多額の損害賠償を命じられ、最終的に破産へと追い込まれた。シュグ・ナイトは、轢き逃げ死亡事件で禁固28年の実刑判決を受け、今でも刑に服している。だが、
ハリー-Oの出所とデス・ロウの復活
ハリー-Oは2021年、ドナルド・トランプ前大統領の恩赦 を受けて出所した。30年以上の刑務所生活を終えた彼は、かつて築いた音楽ビジネスへの復帰を模索。そして2022年、スヌープ・ドッグがデス・ロウ・レコードを買収。驚くべきことに、ハリー-Oはスヌープのビジネスパートナーとして復活し、デス・ロウの新しい時代を支えている。
3/3まで原宿でデスロウレコードポップアップストアが開設されている。当時の空気感を感じてスモーキーな世界に触れたい人は行ってみよう!