平安時代の高僧・浄蔵貴所(じょうぞう きしょ)。空海や最澄ほど知られてはいませんが、その霊能力は非常に高かったと言われる伝説的な存在です。父親は陰陽天文に精通した三善清行。嵯峨天皇の孫だった母親は、剣を飲み込む夢を見て浄蔵を懐妊したと言います。
7歳で出家を望み、霊力を示すよう言われた浄蔵は神人を呼んで梅の枝を取らせたという話が残っています。12歳で宇多法皇の弟子になると、役小角や空海、最澄、安倍晴明などと同様に那智の滝での滝行など、修験道の聖地で激しい修行を行います。やがて傾いた八坂の塔を法力でまっすぐにするなど、加持祈祷では並ぶものがないほどの法力を身につけました。今回は、そんな浄蔵貴所の逸話をご紹介します。
霊能力での相撲「霊角」
その頃毎年7月15日に行われていたという霊角は、修行者たちがその法力で戦うイベントでした。ここで浄蔵が大きな石に向かって祈念すると、石は躍り上がって上下に動いたと言います。相手の修行者は石を動かせず、二人で祈念し続けるうちに石は真ん中から割れて二人の前に動いてきました。もちろん見ていた人たちはびっくり。
怨霊となった菅原道真との対峙
藤原時平の讒言によって太宰府に流された菅原道真。道真の死後、怨霊に悩まされた時平が頼ったのが浄蔵でした。病に伏せる時平を護持しようとすると左右の耳から青龍が現れ、父親の三善清行に向かって「我は無実の罪に陥れられた者の恨みを報いる。だがあなたの息子である浄蔵の法力は私を抑えた。願わくは時平に厳しい戒めを加えてこらしめよ」と言います。浄蔵はその場を立ち去り、門を出たところで時平は死んでしまいました。
平将門の調伏
平将門の乱に際しては、勅命を受けて延暦寺の首楞厳院(しゅりょうごんいん、横川中堂のこと)で大威徳法を行いました。これは五大明王の一人で西方の守護神とされる大威徳明王を呼び出すもので、大威徳明王は「降閻魔尊」、死の国の王である閻魔すら倒すという別名を持っています。
この調伏では矢が東の方に飛んで行ったと言われていますが、将門は流れ矢を額に受けて命を落とし、反乱は制圧されました。
父親を生き返らせる
浄蔵貴所の逸話の中で、特に驚異的なのが死んだ父親を生き返らせたというものでしょう。熊野詣に行っていた浄蔵は父の三善清行の訃報を受けて急ぎ帰途につきましたが、着いた時にはもう死後5日が経ち、葬儀の列が出発していました。
北橋という橋の上で葬礼に出合った浄蔵がその場で加持を行うと、父親はたちまち蘇生して浄蔵を拝んだと言います。このことで、北橋は戻橋と呼ばれるようになりました。
そのほかにも多くの逸話が
口から阿弥陀さまを出している上人像で子供たちにインパクトを与えた空也上人とも関わりがありました。空也が六波羅で行った慶讃金子大般若経多会明徳(お経を読む会)には貧しい人々も大勢やってきましたが、参加していた浄蔵はそんな中に文殊大師の化身を見つけたりしています。
病気を治したり祈祷で雨を降らせるなどは当然のように行い、光孝天皇の第一皇子を蘇生させ、四日間生き永らえさせたこともありました。死者蘇生は父親だけではなかったんですね。
浄蔵の人生と後悔
出雲大社に集まる神々が縁談について話しているとき、自分の相手に「仁直の娘」はどうかと言われているのを聞いた浄蔵。足のケガで一晩泊めてもらった下鳥羽の家がまさに仁直の家だったのですが、寝室に入ってきた仁直の娘に対し「我にとっては天魔だ」と叫んで喉を剃刀で切りつけて逃げるというとんでもないエピソードが残っています。彼女はその後宮中に召されて妃となって寵愛を受けるようになりました。
ある日、浄蔵は狂気の病で手が付けられなくなった妃の加持を行います。彼女の病が癒えたため、上皇は「こんな者はこれから先現れないだろう。妃を賜ってその子孫を残させたい」と、妃を浄蔵に与えると言い出しました。その妃をよく見ると咽喉に傷があったので理由を聞くと、下鳥羽に住んでいた頃に僧に切り付けられたと答えます。浄蔵は「因縁のなす所は逃れることができない」と、彼女を妻にすることを受け入れました。
子供を二人儲けますが、66歳の時に妻子を捨て、再び霊地を巡る旅に出ます。出雲大社を訪れたときには「神の御結びで俗性に堕ちたのは前世の悪因縁罪業のためでしょう。願わくば未来は必ず真実の悟りへ帰らせてほしい」と涙を流したと言います。ですが、亡くなったときには不動明王がお付きの子供を二人連れて迎えに来たとのことですので、そんなに悲観するような道ではなかったのでは…。
浄蔵の影響
文献に残っている浄蔵貴所は、その性質上どうしても天皇家や貴族とのエピソードが多くなってしまいます。ですが、一般の人たちも参拝できるようにと八坂庚申堂を建立したり、市井の人たちからも自分たちを守ってくれる存在として頼りにされていました。
初期の修行時に住んでいた伏見では、今でも歩いている浄蔵に会うことがあると言われています。1300年の長きに渡って人々の幸せを祈念している浄蔵貴所。伏見稲荷のお山では、三ツ辻の看板から左側に入ると浄蔵貴所旧跡を訪ねてみてくださいね。