容姿端麗だけど決して鼻にかけるわけではなく、仕事もバッチリできる。なのになぜかパートナーが出来なかったり、どことなく周りから一線引かれている。そんな人に心当たりはありませんか?話を聞いている分には不思議に思うところですが、もしかしたらその完璧さが他人を追い詰めているのかも…。
源氏物語の登場人物に、六条御息所という女性がいます。かなりの美人で身分も高く、光源氏も彼女のところに通いつめた時期があったのですが、結局2人の恋愛は悲劇的な結末を迎えてしまいました。六条御息所があまりにも完璧すぎたせいで、息が詰まった光源氏は彼女を愛せなくなってしまったのです。自分を押し殺して生きてきた彼女は、本人もそうとは知らないうちに生き霊となり、光源氏の寵愛を受けていた藤壺に取り憑き、しまいにはその命を奪ってしまいます。自分の想念が藤壺を殺したと悟った六条御息所は出家して尼となりますが、押し殺してきた源氏への想いは生き続け、悪霊となって関係者を苦しめることになります。
彼女は周囲から完璧な女性だと言われるうちに、自分でも無意識にそれを演じてしまっていたのではないでしょうか。本当はもっと愛する男性に甘えたかったのに、本当はやきもちを焼いている自分を持て余して泣き叫びたかったのに…。自分にそれを許せなかったことで、生前とは正反対の醜い悪霊に身を落としてしまった…本人としても不本意だったに違いありません。
心理学的に見ると、完璧主義の人は、一度失敗すると坂道を転がり落ちるように堕ちてしまう傾向にあるそうです。それまで一生懸命テストの勉強をしていたのに、わからないところが一つ二つ出てくると「赤点さえ取らなければいいか…」と思ってしまうようなものでしょうか。完璧主義は強迫観念とも結びついていて、物事がうまくいっているときは高いパフォーマンスを発揮する一方、ちょっとした失敗でも自己否定に繋がってしまいやすいと言います。
完璧な女性を目指して自制を重ねることで愛する人に振り向いてもらえず、あまつさえ疎まれてしまうとしたら、これほど割に合わない話はありませんよね…。相手からすると、完璧な相手と自分を比較して見てしまうことで自己肯定感が低くなったり、そこまではいかなくてもなんとなく嫉妬して反発心を感じてしまったりするんですね。遊びのない状態では緊張感が取れず、せっかく会っていても疲れてしまいます。水清ければ魚棲まずという言葉の通り、真面目過ぎる完璧主義は多くの人にとって居心地が悪いのでしょう。
余裕を持って素直に他者と接することができれば六条御息所の悲劇は避けることができそうです。完璧を目指すのではなく、自分の個性を伸ばしたいですね。