チャック

365日 光と闇の暦 7月2日 雨と実りの関係 チャックとフラカン

今日の光の神:チャック(マヤ神話・雨の神)

 チャック(古典マヤ語: Chaahk)は雨と雷と稲妻を司る神で、長く垂れた鼻と牙、爬虫類のような肌が特徴です。石斧を振って雷を起こし、雲を切り裂いて雨を降らせます。東西南北には赤・白・黒・黄の四柱のチャックがいるとされていました。河川がないユカタン半島ではチャックが斧を振らなければトウモロコシは一粒も実らないため、人々は地下の泉セノーテに供物を沈めて雨を願いました。今でもその雨乞いの儀礼が受け継がれています。

今日の闇の神:フラカン(マヤ神話・嵐の神)

 フラカン(キチェ語: Jun Raqan)はマヤ神話の創造神の一柱で、名前の由来は「一本足」、嵐と稲妻として姿を現すとされる神です。「天の心」とも呼ばれるフラカンは、ククマッツと共に大地を形作り人間を創造しました。しかしマヤの創世神話ポポル・ヴフによると、最初に造った木の人間が感謝を忘れて思い上がったため、大洪水と暴風で滅ぼしたといいます。英語の「hurricane(ハリケーン、暴風雨)の語源でもあります。

光と闇

  チャックが降らせる恵みの雨もフラカンが迸らせる激しい洪水も、大地に向けて落ちてくるの水という点では同じです。チャックの雨は作物を実らせフラカンの洪水は集落を押し流しますが、それは水が持つ性質ではなく結果として起きたものです。水は常に水ですが、私たち人間にとっての降り方や量によって変化しています。恵みと災いを分けているのは、水というものがもたらした結果でしかないのです。

この日のテーマ 過剰と適量の境界

 実りをもたらす雨と人を危機に陥れるフラカンの嵐は、ただ水量という一点で分けられるだけのものです。受け取る側が抱えきれる分量を超えたとき、初めてそれは過剰だと定義されます。その限界は超えてみるまで誰にもわからないのです。それとも「適量」という概念自体が受け取る側の都合で後から設定されたものなのでしょうか。自然の側にはただ降っている水があるだけです。

 恵みの雨と滅ぼす洪水を分けるのは、降る水の量です。けれどどこからが多すぎるのかは、水の側をいくら測っても出てきません。受け取る側が抱えきれる分を超えたとき、初めて多すぎたと分かります。その限界は、超えてみるまで誰にも見えていません。私たちは仕事でも人間関係においても、自分の限界に気づかずに過剰な重荷を背負ってしまうことがあります。洪水が起きる前に自分の限界を知るために、何かできることはあるのでしょうか。

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