三社祭りは東京を代表する祭りだ。初めて神輿をかつぐ私は熱気と雰囲気に酔い、神輿にかじりついた。雪深い街の生まれで過去に色々あった私を受け入れてくれた今の会社の上司に誘われて祭りに参加した。交通規制のなかを縫うように一台のタクシーが通り過ぎる。上司が「龍馬タクシーか、ゲンが悪いな…呑むか」と言うやテント下の冷酒をコップに注ぎ飲みほした。私もそれに倣った、龍馬タクシーを見てしまったからだ。
東京の特定エリアの人には耳なじみがあるであろう龍馬タクシー。高知の会社なのかそれとも代表の名前なのかは私は知らない。ただ特定の行灯のタクシーを忌避するいわば都市伝説のようなものがこのエリアにはある。子供たちはあからさまに囃し立て指を隠す等のまじないめいたことをしてふざけている。
私は龍馬タクシーのエリアに来たことに気づき後悔した。あれを見るとイヤな汗と寒気が止まらなくなる。15年前私は獄につながれていた。つまらない諍いで若かった私は粋り警察のご厄介になったのだ。半年ほど臭い飯を食い娑婆にもどったが、思うように仕事にはありつけなかった。そこで世話を焼いてくれたのが保護司のCさんだ。Cさんは私の父親ぐらいの年だろうか。飲食店をいくつも営み、地元の名士だが飾ったところがなく、酒が底抜けに強い。私のような半チクの話も寄り添って聞いてくれた。Cさんの紹介で仕事につくことができ、わずかな額だが生まれて初めてボーナスというものを頂戴してCさんを飲みに誘った。どこにでもある中華屋だが、ご馳走したいと告げると目をこすりながら喜んでくれた。
安い酒は良く回り、二人機嫌よく帰途についた。ふと奇妙なものが目に入る。電気の消えた一軒家の玄関にタクシーがすっぽり入り込み、ヘッドライトは消えているが室内灯は点いていた。車庫ではなく玄関を塞ぐように入り込んでいる奇妙さと、バッテリーがあがってしまうのではと思いインタ―ホンを押そうと手を伸ばした。その瞬間「やめろ!」Cさんが声を潜めて鋭く言った。温厚なCさんが初めて語気を荒げたので驚いていると、我に返ったのか「龍馬タクシーってやつだな!縁起が悪いらしい」とおどけて言った。龍馬タクシーとは書いていなかったが車体横の社名が印象に残った。Cさんに促されその場を離れようとすると、インターホンから「置いてけよ、置いてけ。とりにきたんだろう、置いてけよ」とくぐもった男の声が。「行こう!」Cさんの表情から何かを察し足早に離れた。
それから半年ほどたったとき職場に刑事が来た。私が訝しがっているのを察したのか刑事は「お忙しいところすみません。Cさんの事件について調べていまして」と言った。驚いて事情を聞くと、ひき逃げ事件があったのだと言う。血痕などから被害者はCさんと断定されたが、Cさんの身体がどこにもないという要領の得ない話だった。「何かご存知ありませんかね」例のタクシーの話をしたが、刑事は苦笑しただけだった。
携帯電話が鳴った。あの刑事だ。「お話しいただいたタクシーに話だけ聞きに行ったんですが、ちょっと面倒なことになりまして。週刊誌なんかにはナイショにしていただきたいんですよ」刑事は例の龍馬タクシーの家に聞き込みに訪れたらしい。不審な態度だったため令状をとり捜索したところ、軒下から十数体の遺体がでてきた。しかしそれらはいずれも100年以上前のもので住人のタクシーの持ち主を罰することはできない、と言った。
「おい!大丈夫か!」神輿の喧騒をかき消すように上司が叫んだ。「顔真っ青だぞ少し休んでろ!」どうも、と頭を下げ路肩に腰かけた。例のタクシーはもう見えない。ただまた目にすることがあるだろう。例の龍馬タクシーの持ち主は今も営業を続けているのだから。