2011年の東日本大震災以降、世界中で原発に対しての意識は大きく変化しました。原発自体を止めてほかの発電方式に戻した国もあれば、日本のように一部を停止して様子を見ている国もあります。汚染水放出などの処理も続きますが、農作物も作れるようになり、13年という月日が全く元通りとは言えませんが一応の落ち着きは見せたと言えるかもしれません。
日本に住む誰もが目に見えない放射線の恐怖と向き合ってきた中、当時注目を集めたドキュメンタリー映画があります。それが『アレクセイと泉』、2002年に発表された日本映画です。音楽は坂本龍一さんが担当、写真家の本橋成一さんとのタッグで制作されました。
舞台となる「泉」は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発(旧ソ連・現ウクライナ共和国)の爆発事故で被災した、ベラルーシ共和国の小さな村、ブジシチェにあります。この村の学校跡からも、畑からも、森からも、採集されるキノコからも放射能が検出され、多くの村人が村を離れる中、アレクセイという青年と数十名の老人だけは村を離れようとしません。
アレクセイは言います。「僕らにはあの泉がある。あの泉は100年前から僕らを守ってくれているんだ」と。
そして、不思議なことに、この「泉」からは村や周囲の森では検出されているにも関わらず放射能が検出されないのです。「なぜって?それは百年前の水だからさ」と、村人たちは自慢そうに答えます。自分たちを守り続ける泉について語る村人たちの瞳はどこまでもまっすぐで力強い…というお話です。
水が人の意識を記憶したり、思念の影響を強く受ける物質だということはスピリチュアルの世界では広く知られています。ブジシチェ村の泉が「村人の信仰の対象だから放射線の影響を受けなかった」、もしくは「浄化された」と考えるのは、あまりにもご都合主具的な考え方かもしれません。この泉は100年前から湧き出ているのだから、その期間にさまざまな自然的手段によって浄化されたというのが現実的なところでしょう。
本橋成一さんは2021年に続編となる『人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか』を発表しています。1997年発表の『ナージャの村』のナージャとアレクセイの村を訪ねたものです。二人は都会に出て働いていますが、アレクセイの母や兄達は今でもブジシチェ村に住んでいるそうです。本橋さんは「原発は開けてはいけないパンドラの箱だった」と言っていましたが、美しい村に住んでいた人たちはタイトルになった言葉通り「自然を汚したのは人間」だということを受け入れて生きていました。この村の泉が100年後も清浄であってほしいと願わずにはいられません。遠い異国の村人を守り続ける泉に思いをはせ、私たちが守らなければならないものは何なのかを考えなければという思いを強くしました。ぜひ大切な人と一緒に見ていただきたい映画です。