バズビーズ・チェア 座った者は死ぬ?殺人犯が椅子にかけた呪い
イギリスのノース・ヨークシャーにあるサースク博物館に、ほかとは違う方法で展示された作品がある。天井から吊り下げられている、古びた木製の椅子だ。
この椅子はバズビーズ・ストゥープ・チェア(Busby’s Stoop Chair)、「死の椅子(Dead Man’s Chair)」と呼ばれている。座った者に不幸な死をもたらしてきたという呪いの椅子だ。1702年に処刑された殺人犯の呪いが宿るというこの椅子の歴史を見てみよう。
呪いの起源 ─ トーマス・バズビーの処刑
1702年、ノース・ヨークシャーのカービー・ウィスク村で、トーマス・バズビーという男が義父のダニエル・オーティを殺害した。バズビーは飲んだくれで素行の悪い男だったが、オーティも品行方正とは言えないような人物だった。義理の親子は共に偽金を作り、犯罪ビジネスを行っていたのだ。
事件の発端には諸説ある。オーティがバズビーの妻(オーティの娘)を連れ戻そうとしたという説、ビジネスの分配を巡る口論が引き金となった説。だがすべての伝承に共通した謂れがあり、それがオーティがバズビーのお気に入りの椅子に座ったことで殺人が起きたということだった。激昂したバズビーはオーティを椅子から引きずり降ろし、ハンマーで撲殺した。
バズビーは逮捕され、死刑を宣告された。絞首刑で処刑されたあと、遺体は見せしめとしてサンドハットンの十字路にあるギベット(さらし台)に吊るされた。
呪いの言葉と度胸試しの椅子
バズビーは処刑される前に、自分がいつも座っていた椅子に呪いをかけたと言われている。
「この椅子に座る者に、私と同じような突然の死がもたらされるように」
バズビーの処刑後、椅子が置かれていたパブはやがて「バズビー・ストゥープ・イン(Busby Stoop Inn)」と呼ばれるようになった。ストゥープは遺体が吊るされた柱のことだ。椅子は何世紀もパブの暖炉のそばに置かれていて、地元では「座ると死ぬ」という噂が広まっていった。
第二次世界大戦中の犠牲者
1940年代、町の近くにカナダ空軍の基地があった。飛行隊のパイロットたちがバズビー・ストゥープ・インを訪れ、度胸試しとして呪いの椅子に座った。地元の人々の証言では、椅子に座ったパイロットの多くがヨーロッパ上空の爆撃任務から帰還しなかったという。
ただし、この話については懐疑的な見方もある。カナダ空軍の記録では、第二次世界大戦中の航空機損失率は約1.65%だった。そもそも爆撃任務に従事するパイロットが戦死するリスクは高く、椅子に座らなくても帰還できない者は多かったはずだ。
1960年代〜70年代の死亡事例
1968年、トニー・アーンショウという男がバズビー・ストゥープ・インのオーナーとなった。当初は「呪いなど迷信だ」と考えていた彼だが、次第にその考えを改めることになる。
アーンショウが目撃した光景
空軍兵2人の死 アーンショウがオーナーになる前、2人の空軍兵が互いに椅子に座れと挑発し合っているのを見た。どちらも呪いを笑い飛ばして座ったが、基地に戻る途中で自動車事故を起こし、2人とも木に衝突して死亡した。
若い建設作業員の転落死 建設現場の作業員グループがパブに来た。若い作業員がそそのかされて椅子に座ったが、数日後その若者は屋根から転落して死亡した。
地下室への移動
相次ぐ事故に恐怖を感じたアーンショウは椅子を地下室に移動させた。そうすれば誰も座らないだろうと思ったからだ。だがビール樽を配達に来たドライバーが地下室にあった椅子を見て、「なぜ快適そうな椅子がこんなところに?」と座ってしまった。
数時間後、そのドライバーは事故を起こして死亡した。
博物館への寄贈
アーンショウはこの椅子を持ち続けることに限界を感じ、条件付きでサースク博物館に寄贈することにした。彼が出した条件は2つだ。
- 椅子を破壊したり焼却したりしないこと
- 二度と誰にも座らせないこと
博物館はこれを受け入れ、椅子を高い位置に吊り下げて展示することにした。清掃員が誤って座らないようにするためだ。博物館のクーパー・ハーディングはこう語っている。「寄贈者との約束を守るのはとても重要です。どれだけ頼まれてもバズビーズ・チェアに座る許可を出したことはありません」
椅子の真実 ─ 考古学的調査
そんな中、呪いの伝説に疑問を投げかけたのが家具歴史家のアダム・ボウエット博士だ。彼はヴィクトリア&アルバート博物館と関わっていた専門家で、バズビーズ・チェアを詳細に調査した。その結果、驚くべき事実が判明する。
椅子の脚の紡錘(スピンドル)は機械で加工されていた。だが18世紀の椅子はポールレースという足踏み式の旋盤を使って手作業で作られていた。機械加工の紡錘が使われるようになったのは19世紀半ば以降のことだ。
ボウエット博士の結論では「この椅子は1840年頃以降に作られたもの」。つまりバズビーの処刑から138年以上後に作られた椅子ということになる。バズビーが呪いをかけた本物の椅子はどこかに存在するのか、それとも伝説自体が後世の創作なのか-真相は藪の中だ。
呪いは本物か?
だが、ボウエット博士の調査結果は必ずしも呪いを否定するものではない。死亡事例の多くは1840年以降に起きている。もし呪いが椅子そのものではなく、「バズビーが座っていた場所」や「パブ内のどこか」にかかっているなら、後から置かれた椅子にも効果があるのかもしれない。
また別の解釈もできる。椅子は長年に渡って暖炉のそばの湿気の多い場所に置かれていた。木材の劣化によって構造が弱くなり、座った人が怪我をしやすい状態だった可能性がある。だが、これは「座った直後」の事故は説明できても「数時間後」「数日後」の死亡は説明できない。また、「この椅子に座ると死ぬ」と信じている人が座ったら、無意識に危険な行動をとりやすくなる可能性がある。自己成就的予言と呼ばれる現象だ。
椅子に座って何もなかった人は記録に残らず、死亡した人は「呪いの犠牲者」となって伝説は強化されていく。
呪いの椅子の現在
バズビーズ・チェアは今でもサースク博物館に展示されている。博物館はサースクの市場広場に面した建物にあり、入場料を払えば誰でも椅子を見ることができる。ただし、座ることは絶対にできない。椅子は壁の高い位置に固定され、例え博物館の職員でも座る許可は出ない。
かつてバズビー・ストゥープ・インがあった建物は残っているが、現在はパブではなくなっている。2012年頃から現在までインド料理レストラン「ジャイプール・スパイス(The Jaipur Spice)」として営業しているようだ。
まとめ
バズビーズ・チェアの呪いが本物かどうか、証明する術はない。椅子自体がバズビーの時代のものではないという事実は、呪いの伝説の謎をより深めている。しかし、数百年にわたって語り継がれてきた死の報告の全てを偶然だと言うのも難しい。
もしサースク博物館を訪れる機会があったら、天井近くに吊るされた椅子を見上げてほしい。そして、座れないことに感謝するといいだろう。