仁徳天皇陵

不可思議大好き!前方後円墳

 今回は日本の「前方後円墳」をご紹介したいと思います。日本史の話じゃないか、と思われるかもしれませんがかなり謎が多いシロモノなので少しお付き合いしてくださいね。

 前方後円墳とは、円形の部分(後円部)と台形の部分(前方部)をくっつけたユニークな形をした古墳です。上から見るとまるで鍵穴のような形をしています。3世紀後半から7世紀ごろの古墳時代を中心に日本列島で大量に作られました。現在確認されているだけで全国に約16万基もの古墳が存在し、そのうち前方後円墳は約5000基以上。日本にしか存在しない世界的にも非常に珍しい形の墳墓です。

 代表的な例として外せないのが、大阪府堺市にある「大仙陵古墳」、通称・仁徳天皇陵古墳です。その規模は全長約486m、後円部の直径約249m、高さ約35m。エジプトのクフ王ピラミッドや中国の秦の始皇帝陵と並ぶ「世界三大墳墓」の一つに数えられています。推定される動員人数はなんと延べ680万人以上、工期は15〜20年とも言われています。現代の重機なしに、これほどの規模の建造物を作り上げた技術力はやっぱり只者ではないですよね。

 古墳が巨大化した背景には、当時の権力者たちの「見せる政治」があったと考えられています。古墳の大きさはそのままヤマト王権における権力の序列を示すもので、大きければ大きいほど「この人はすごいぞ」という意思表示になっていたわけです。

 ところが7世紀に入ると、巨大古墳はぱったりと作られなくなります。その理由として有力なのが「薄葬令」の制定です。646年、朝廷は古墳造営の規模を身分ごとに厳しく制限する法令を出しました。仏教の普及による死生観の変化や、巨大古墳の建設にかかる膨大なコストへの批判も背景にあったようです。

 とはいえ、それまで数百年にわたって続いた「巨大な墓を作る文化」が、ある時期を境にほぼ完全に途絶えてしまうというのは、やっぱり少し不思議ではないですか?

 さらにロマンをかきたてる説がありまして、古墳と天体の関係性についての説です。前方後円墳の多くは、夏至や冬至の日の出・日没の方角に合わせて向きが設定されているという研究があります。円形の後円部が「太陽(あるいは月)」を、前方部が「光の道」を象徴しているという解釈もあり、単なるお墓を超えた宇宙観・世界観が込められていたのではないかと考える研究者もいます。古代の人々が星空を読み、暦を計算し、その知識を墳墓の設計に落とし込んでいたとしたら……それはもう、現代人が思い描く「古代人」のイメージをはるかに超えた存在ですよね。

 前方後円墳の最大の謎は、実は「調査できない」という点にあります。仁徳天皇陵をはじめとする多くの大型古墳は宮内庁が「陵墓」として管理しており、学術調査が厳しく制限されています。埋葬されている人物が本当に記紀に記された天皇なのか、副葬品に何が納められているのか、現時点では確かめる術がありません。

加えて、古墳時代の日本には文字による記録文化がまだ根付いておらず、誰が何のために作ったのかという直接的な記録がほとんど残っていないのです。「伝・〇〇天皇陵」という名称も、多くは後世になってから比定されたものに過ぎません。
つまり、現地に行っても中を見られず、文献を調べても記録がない。謎を解こうとすればするほど、深い霧の中に引き込まれていくような感覚があります。

日本列島にだけ存在する独特の形、世界最大級の規模、天体との関係性の可能性、そして調査もできなければ記録もない……。
前方後円墳は、遠い過去から現代の私たちに向けて「お前たちには、まだわからないだろう?」と静かに問いかけているのかもしれませんね。と、妄想はここまでにして、今回はこの辺で!

関連記事一覧