今回は「ネブラ・ディスク」をご紹介します。こちらは1999年にドイツのミッテルベルクの丘にある塚から発見されました。発見された年代としてはだいぶ新しいですね。直径約32cm、重さは約2kgの青銅製の円盤で、金で装飾された、太陽・月・32個の星が象られているので太陽暦と太陰暦を組み合わせた天文時計と考えられています。
太陽暦は、地球の周りを太陽が一周することを基準にして暦を計算します。太陰暦は字面や太陽暦から受けるイメージとは違い、月の満ち欠けから算出される暦です。昔の人は天文学に対しての本気度が違いますね…。地上には灯りも少なく、星や月が観測しやすかったのかも知れませんね。今とは全く違う夜空をしていたのかも。ネブラ・ディスクは、この太陽暦と太陰暦を組み合わせることで起きるズレ、うるう月を計算していたのではないかと言われています。太陽や月の満ち欠けによって季節を計算し、祭事を行うタイミングや農業を始める時期などを決めていたのかも知れません。
この「ネブラ・ディスク」と同時に、ブロンズの剣、手斧、腕輪、大工さんが使うようなノミが発見されました。これらの年代調査や埋められていた地層、土壌の検査の結果、全て同じ時期に埋められたことがわかっています。この中でもブロンズの剣はサンプル数が多く、剣の柄に使われたカバノキの皮の年代測定の結果から、なんと3600年も前のものとわかりました。
西暦が始まる千年以上も前から、人々は空を見上げて太陽の周期を測り、月の満ち欠けを考察し、生活のために役立てていたという事実は素直に尊敬せざるを得ないですよね。現代のように精密機器がある訳でもないし、計算機もないし、録画することも見直すことも出来ないのに。すごいですよね。
うるう年やうるう月については、バビロニアの遺跡から発掘された、楔形文字で書かれた文書が最も古い紀元前6~7世紀のものとされていました。「ネブラ・ディスク」とは実に1000年ほどの開きがあります。「ネブラ・ディスク」が先に作られて、のちにバビロニアで文書にされたと言うのも考えられるかも知れませんが、バビロニアは現在のイラクの辺りなので地理的につじつまがあわなくなります。
しかし、「ネブラ・ディスク」の盤上に描かれているのは「太陽の船」とも言われます。太陽の船は古代エジプトの神話において、太陽神ラーが乗っている船です。夜が明けるのは太陽の船がやってくる事で訪れると考えられていたのかもしれません。
そう考えると、うるう年は今まで考えられていた時代よりも1000年ほど前からあったのか、古代エジプトの影響を受けて作られたこの円盤がなぜドイツに埋蔵されていたのか…。答えが出るものではありませんが、一度考えだすとどこまでも考えてしまう不思議で興味がつきない「オーパーツ」です。