ウィンチェスター・ミステリー・ハウスは、アメリカ・カリフォルニア州サンノゼにある邸宅で、2万4千平方フィート(約2,230平方メートル)という広大な邸宅です。38年にわたって増改築が続けられ、最大時には500もの部屋があったという複雑怪奇な家は、持ち主だったサラ・ウィンチェスターの死後「呪われた家」として観光名所となりました。ちなみに現在は160部屋ほどだそうです。
サラ・ウィンチェスターの夫は、開拓時代のアメリカで「西部を征服した銃」と呼ばれたライフルを作った会社の二代目・ウィリアム・ウィンチェスターです。二人の間に生まれた娘は消耗疾患と診断され、わずか1ヶ月しか生きられませんでした。このことや彼女が受け継いだ莫大な資産が武器から得たものだということで、サラは亡霊に悩まされて霊媒師の元を訪れたと言われています。
「亡霊たちが家を建て続けるよう求めている。建築が止まれば死ぬことになるだろう」
サラはそう言われて終わりのない増改築を始めたといいます。その目的は日々家中を徘徊する亡霊を「迷わせる」ためだと言われ、一般的な家では考えられないような状態が作られました。その例を挙げると…
階段 ・行き着く先が天井や壁になっている ・段差が非常に小さな44段のもの
ドア ・開けると壁になっている ・外に繋がる ・数メートル下の庭に通じている
窓 ・部屋の中にあるためステンドグラスなのに光を通さない ・廊下に面している
廊下 ・迷路のように入り組んでいる
そのほか 13段の階段、ろうそく立て、浴室、寝室や蜘蛛の巣などのモチーフ
サラは近所づきあいをほとんどしなかったこともあり、プライバシー保護やファクトチェックなどの概念がなかった時代の新聞に面白おかしく取り上げられました。サンノゼ・デイリー・ニュースは『奇妙な話 家が建ったら死ぬと思っている女性』という記事にしています。また、彼女の死後45年経った1967年に出版された『Prominent American ghosts(よく知られたアメリカの幽霊)』では、サラが訪れた霊媒師はアダム・クーンズという名前だとされましたが、学者たちが調査したところ該当者は存在しませんでした。
夜な夜な降霊会を行っていると言われていたサラですが、当時彼女の元で働いていた人たちは「彼女はそんなものには興味がなかったし降霊会を行ったこともない」と証言しています。また、大工の一人は「13」にまつわる建築は彼女の死後に成されたと言い、長年サラの付き添いをしていた女性も「彼女に迷信的な考えはなかった」と噂を否定しました。生前のサラを知るツアーガイドの一人は「嘘を言わなければならないので胸が引き裂かれる思い」だったそうです。
開かない窓は1906年に起きた地震のため、段差の緩い階段はサラの健康状態の悪化に伴うものだという調査結果があります。ウィンチェスター・ミステリーハウスはにまつわる話は、どうやら都市伝説のように広がっていったようです。サラの死後この家を購入したブラウン夫妻によって「呪いの家」にふさわしい形に変えられ、エピソードが脚色されていったのでしょう。
サンノゼ州立大学のブルース・スプーンは生前の彼女を知っている人たちに話を聞き、新聞や雑誌の記事を検討してこの家についての修士論文を書きました。彼はウィンチェスター・ミステリーハウスの増改築の理由を「労働者の雇用確保と、サラの芸術的ビジョンを表現するため」だと結論づけています。サラ・ウィンチェスターは、彼女が雇っていた従業員全員を遺産の受益者としていました。
そう考えたとき、周囲の人たちに自らの財産を分け与えてきた一人の女性と、金儲けのためにそんな女性の風評を利用して歪ませたブラウン夫妻とのコントラストが浮かび上がってきます。本当に恐ろしいのは幽霊ではなく、生きた人間だとはよく言ったものですね。