今回は「ピーリー・レイースの地図」をご紹介したいと思います。1929年トルコ・イスタンブールにあるトプカプ宮殿博物館に収蔵されていた写本の中から、1枚の地図が発見されました。この地図はガゼルの皮を使った羊皮紙で作られたもので、大西洋を中心に描かれた航海図になっています。
この地図はオスマン帝国(今のトルコの辺りにあったオスマン家を皇帝とした帝国)の軍人、ピーリー・レイースが作成したものです。彼が作った地図で現存するものは2枚ありますが、ピーリー・レイースの地図と称される場合は1513年に作成された地図のことを指します。”ピリレイスの地図”や”トプカプの地図”とも呼ばれています。
この地図の陸地はスペインやポルトガルがあるイベリア半島からアフリカ大陸の北西部、南北アメリカの東海岸。南アメリカから伸びた陸地には周辺を航行している船の絵や動物も描かれていたり、更に左の方にはジパングがあったりもします。
クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見したのが1492年、アメリゴ・ヴェスプッチが南米大陸を調査して論文を発表したのが1503年とされているのですが、その数年後に作られた航海図としてはかなり広大な範囲が緻密な精度で描かれています。この地図に付された文によると、この地図は1513年に作成され、1517年にエジプトを征服したオスマン帝国のセリム1世に献上された地図で、総計33枚の地図を参考にしたと言います。
ここまでの情報だとピーリー・レイースと言う海軍軍人が古地図や中世ヨーロッパで作られた地図などを元に詳細な地図を作成したものが遺物として残っていたと言うことになるのですが、それだけは説明出来ない不可解な点があることからオーパーツではないかと言われているのです。
一つは、南極大陸が描かれていること。南極大陸の発見は1820年ごろと言うのが現在の定説になっています。それよりも300年も前に作られたこの地図に南極大陸が描かれているのは不思議ですよね。他にも南北アメリカ大陸の海岸線が描かれていることや、地形のゆがみ方が18世紀に図法が確立された正距方位図法を使っているのではないかなど、作られた年には知りえなかった情報や手法が使われていることからオーパーツなのではないかとされています。
先述のように、この地図の制作には古地図を参考に作られていますが、なぜ古地図を使ったんでしょう…? 彼が書き残した文の中には”マッパムンディ”と呼ばれる紀元前4世紀アレクサンドロス大王の時代に作られた世界地図を参考にしたと書かれています。参考にするには古すぎますよね。ちなみにこのマッパムンディ、英語で地図をしめす”map”の語源になっています。
南極大陸として描いたのか南アメリカ大陸が南極に見えるのか議論が尽きませんが、世界を知りたい、伝えたい、書き記したい欲と言うのは古代の人も現代の人も変わらないのかも知れませんね。
それでは今回はこの辺で。