私にとってのスピリチュアルというもの
私の父は占い師を職業としている。母は精神世界の全般を勉強しそれを活かして仕事をしている。自分自身も幼い頃から精神世界・霊的な世界を信じており、幼稚園の頃から始めてアラサーになった今もなお学んでいる。家族だけでなく親戚にも”見えない世界”は存在していると考えている人が多く、精神世界のことだけでなく哲学や心理学、形而上学の話を出来る人が身近にいる環境で育った。
私は幼い頃から変なやつだと言われてきた。それがただの感想である時もあったし、詰られている時もあった。周囲の人間を困惑させることが多かった。
幼稚園児の頃は絵を描いて空想に耽り、運動会やお遊戯会には参加せずただぼーっと突っ立っているだけだった。誰かと話すよりも一人遊びをする方がよっぽど楽しかった。人の立てるはずのない場所にいるおじいさんに手を振っても、育てた花のそばにいる妖精を描いても、見えない友達の話をしても、疑われることはなく当たり前のように受け入れられた。家族は私に変わりなさいとか、そんなこと言わないでとか、普通になりなさいだとかいう類のことを一切言わなかった。
ある日、嫌なことがあり、処理出来ないと言うと母は私に頭の中で箱を作り、その中に嫌な出来事を詰めて爆発させるといいと教えてくれた。嫌なことがある度に頭の中で箱を爆発させた。ESPカードと言われるカードでよく遊んだ。何度も遊ぶうちにをマークを外さないようになり、ますます超能力的な力や見えない世界が当たり前にあるものになっていき、瞑想、幽体離脱、ヒーリング、色々なことを教えてもらった。
そんな環境で育ったので、根本的な性格や性質が幼い頃からあまり変わっていない。そして今でも変わらず変人だと言われることが多い。年齢なりに社交性は身につけたし、他者との距離を図ることも上手くなった。
精神世界のことをスピリチュアルと呼ぶらしいことを、私は最近知った。自分が精神世界を幼い頃から大切にしてきたんだということも。スピリチュアルという単語を聞いた時に、まず胡散臭い、怪しいという関連ワードが頭に浮かんだ。同じ頃にテレビで驚くほど耳障りの良いことしか言わない、胡散臭い人を見ていたからだと思う。
自分自身が目に見えない世界のことを勉強し、瞑想や色々なことをするようになったのはここ数年の話だが、印象はだいぶ変わった。相変わらず、自分の価値を高めるために他者を使って良い気分になろうとしているだけの嘘つきも大量に発生しているとは思うが、感じ方や考え方、言葉の選び方が素敵だなと思う人もたくさんいることを知った。
私にとって精神世界・スピリチュアルというものは、なんの努力もしていない利己的な欲を満たしたり、不自然な富や名声をもたらすために使う訳のわからないスペシャルパワーのことではなくなった。感覚的な部分が多いため言語化し難いのだが、あえていうのであれば”自分がどう生きていたいかを知っていること”という言葉になる。これは常に変化するものであり、固定できないもの。自分が経験してきたことや考えを総合して今自分がどうありたいのかを体現することである。自分がどのような哲学を持っていて、それをどう表すのか?という問いに対して、常に今の時点での回答をできるくらい自分と向き合い続けること。
と、このように考えている。自己肯定感が高すぎても低すぎてもみえなくなり、自分のことを考えすぎても相手のことを考えすぎても答えに近づけない。しかしめげずに続けると、自己満足とも違う自己満足を味わえる。思考と言語化で全てを説明できると思っていた私にとってはとても衝撃的で、不思議な分野だなあと思いながらもすごく楽しみながら自分自身と常に向き合い続けている。私は生まれつきそのようなものであったんだろうし、死ぬまでこれを続けるだろうなと思う。