前世を思い出すための瞑想 頭ではなく追体験するためには
スピリチュアルの世界で「私は前世を思い出した!」という人は少なくありません。そもそも前世は「現世の辛さや苦しさを和らげるために癒す」といった目的で使われることが多く、それが実際の人物だったか否かはさほど問題にならないでしょう。ただ、誰かが「思い出した」前世が「思考が生み出したもの」だった場合、その人のエゴを満たす道具になってしまう危険があるとは言えます。
例えば「私はジャンヌ・ダルクを前世に持つから、周囲がおかしいと言っても正しいことをする」という人がいたとして、その「正しさ」は誰が決めるのでしょうか。その人はもしかしたら、自分の感じる「正しさ」を盾にして暴走してしまうかもしれません。それだけでなく、前世を理由にして現世の自分を二の次にしたら、私たちが今この肉体を持って生きている意味がなくなってしまいます。魂が輪廻転生を終えられる状態ではなかったから生まれ変わるという説が仮に事実だとしたら、今肉体を持っている私たちは一人残らず前世で何かしら失敗しているはずです。それは今の自分の人生でリカバーする余地があるものなのに、過去にこだわっていたらまた同じ人生を送ることになってしまうのではないでしょうか。
二元論に基づいた瞑想ではエゴという思考の領域を超えにくいので、実際に前世を追体験するのは難しいはずです。ヒプノセラピーで体験することはできるかもしれませんが、セラピストの知識と暗示の方向性や自分の思考の影響を排除できません。では、前世を追体験することは可能なのでしょうか。
前世を知るための方法はいくつかの型に分けられるかと思います。ヒプノセラピーなどの「ある技術を使って意図的に呼び起こそうとするもの」、タロットや占星術などの「占いによって導き出されるもの」、そして「自発的に出てくるもの」。この「自発的に出てくるもの」がエゴが介在しない、追体験としての前世を知る方法です。必要なのは、ひたすら自分の内側を見つめて瞑想すること。
いわゆる「無」になる瞑想はインドやチベットの系統が多いと思いますが、思考を使わず感情・感覚を研ぎ澄ましていくと行きつく先は頭ではなく心臓になるはずです。そしてその奥には次元や現在の自分と過去・未来を繋ぐ—というより時間軸が存在しない領域への入口があります。だから意識は頭ではなくここに向けます。
時間軸がない以上、ここでの前世は「今起きていること」です。目の前に当時の光景が広がり、匂いや空気を感じることもあるでしょう。自分の場合は、前世が過ごしていた場所に行って瞑想していると今の肉体を持った自分と当時の自分が重なって、二重の目で景色を見ているような感覚になります。強い感情を伴って追体験するのでかなりきついですが、失敗した一つの前世を完了させることで次の扉が開くのが「わかり」ます。
それまで読んできた本の中にさんざん書いてあったような言葉ですが、実際に経験するとそうとしか言えないんだなと思いました。特別な誰かでなければ体験できないようなことでもなく、ただ愚直に意識を頭に向けない瞑想をして必要だと感じた場所に行く、それをするかどうかだけなんだなと。
ただし、この方法で出てくるのは自分にとって心地いい前世とは限りません。身体の奥から逆流してくる強い感情は、感動的なものではなく痛みです。例え歴史に名を残すような人間だったとしても、市井を生きた人間だったとしても、その時代の自分では取り返しのつかなかった失敗を思い出すことになります。エゴの入る余地なんてこれっぽっちもないどころか、恥ずかしくていたたまれなくなることもあるはずです。
それでも、その人生を完了させることは現在の自分にとって大きな意味を持つと思います。前世には魂を通してのテーマのようなものがありますが、一つの前世を完了させることでその領域がうまく回る方向に進むからです。思考ではなく感覚を活用することで、それまで見ていた世界が少し変わり始めるかもしれません。