20世紀のフランスに、シモーヌ・ヴェイユという哲学者がいました。両親はユダヤ系でしたが、彼女をできるだけユダヤ的な思想から遠ざけ、自由思想を持つように育てたと言われています。幼少期には第一次世界大戦の影響を受け、14歳の頃にはのちに数学者となる兄アンドレ・ヴェイユと自分を比較して死にたいほどの劣等感を持っていました。ソルボンヌ大学に入って哲学の大学教授資格を取ったものの、教科計画に従わず問題教師という扱いを受けます。
共産主義やマルクス主義、スターリニズムなど権力を批判した彼女は、ナチスが台頭してきたドイツからの亡命者を助けました。20代後半ではアッシジの教会で何らかの強い力に打たれ、生まれて初めてひざまずいたと言います。彼女は10年近く原因不明の頭痛に悩まされ、栄養失調と肺結核によって34歳で生涯を終えました。
死後になって彼女が書きためていたノートを友人の形而上学者ギュスターヴ・ティボンが出版します。哲学書としては異例のベストセラーとなったこの本が『重力と恩寵』です。静かで激しいシモーヌ・ヴェイユの哲学は、スピリチュアルやメタフィジックスと呼ばれる領域とも表裏一体となっているように思います。
ここからは『重力と恩寵』に描かれた哲学をご紹介したいと思います。
・同じように「苦しみ」と呼ばれるものでも、高邁な動機より低劣な動機によるものの方が我慢しやすい。卵一個を手に入れるために深夜一時から朝八時まで待ち続けられる人でも、人の命や国を救うためにはそこまで忍耐強くなれないだろう。
これは力を低劣さの方に配する法則の一例で、その象徴が重力だ。光と重力という二つの力が質量としての宇宙に君臨する。
(※シモーヌ・ヴェイユは低劣さは重力の一現象であって、善悪ではないと述べている)
・私たちがほかの人に期待するものは、自分の内側にある重力によって決まる。
・深い愛はひとつの生、表層的な事柄の多くを変える。深層と表層とは、高邁さと低俗さとイコールである。低俗は表層と同じ次元にある。
・痛みを感じたときに、誰かを同じように苦しませてやりたいと願ったことを忘れてはならない。人を傷つける言葉を吐きたいという思いは、重力に屈することである。
・重力の下降運動と恩寵の上昇運動という二つの力がある。そして二乗の力を備えた恩寵の下降運動。恩寵という翼が二乗の力を備えていれば、重力に頼らずに下降することができる。この三つの運動が創造を構成する。恩寵とは下降運動から成る法則である。
・エネルギーに貼りついたいろいろな執着を断たねばならない。自らの身を低めることは、精神的な重力としては上昇を意味する。精神的な重力は私たちを高みに「落とす」。
これらは重力と人間の関係について書かれた一部分にすぎません。次の章では「真空」、メタフィジックスを学ぶ者として私が認識している「虚空、ヴォイド、ブラックホール、ゼロポイント」について考察されています。そこで彼女は自分だけがいい思いをしようとする人々について描き、苦しみを外にまき散らす傾向について考えています。彼女は「みずから進んで限界点に赴かねばならない。そのとき真空に触れることができる」と言いました。
無意識の奥にまで踏み込んで「自分」とは何かを得ようとすると、ハートの奥にある一点を通して次元を超えることができるようになります。(※次元を超えたチャネリングをするには) シモーヌ・ヴェイユがノートに残した「真空を受け入れる(=世界は悪の存在を前提としていることを認める)」「執着を断つ(=無になる、自己を殺す)」「埋めつくす想像力(=想像力を抑止しなければならない)」などは、このまま次元を超える方法論になります。
生前のシモーヌ・ヴェイユは名声を望んだり、富を得ようとしてきた人ではありません。ただ自らのエゴを見つめ、人間という存在の本質的な意味を考え続けた人でした。そしてもう亡くなっていますので、目立ちたい、お金を稼ぎたいという理由でスピリチュアルやメタフィジックスを仕事にしている人々が伝える言葉よりエゴが少なく、「真実」に近いことは明白です。
次元を超えるチャネリングをしたいと思っている方、形而上学に興味のある方はぜひ『重力と恩寵』を読んでみていただければと思います。