「私の言うことが真実」「このやり方が真実」スピリチュアルに関わる人から、こんな言葉を聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。ですが、例えば十字軍の戦いはカトリック教徒にとっては「神聖な戦争」でも、イスラム教徒にとっては侵略であり防衛の戦いだったでしょう。立場や文化、信念が違えば「真実」はたやすく変わってしまうのです。
この分断された状態、国や宗教などで敵味方に分かれてしまう状態を解消することが、スピリチュアル的な目標のひとつである「ワンネス」なのではないでしょうか。今現在、宗教的な理由でイスラエルはガザを攻撃しています。戦いによって自分たちにとって大切な場所を住民たちから奪ったり、領土を広げたりしようという行為はいつ生まれたのでしょう。
例えば日本の縄文時代は貧富の差がなく平和な時代だったと言われます。有珠モシリ遺跡で見つかった頭骨には武器で突かれた跡がありましたが、この遺跡は縄文晩期のものです。もちろん集団同士の小競り合いはあったでしょうし、矢に当たるなど狩猟具で命を落とした人もいるでしょう。ですが戦いの痕跡が極端に少ないことは事実で、大規模な争いは農耕システムが整備され、貧富の差が生まれたからだと推測できます。
「生活のための小競り合い」だったのか「領土や富を奪い合う組織的な戦い」だったのかで、その意味は大きく異なるのではないでしょうか。組織的な戦いは、集団に共通するイデオロギーを必要とします。「エルサレムの奪還」だったり「民主主義を世界に広めなければならない」などがそれでしょう。
ヌビア砂漠の遺跡から出土した1万5千年前の旧石器人骨からは世界最古の戦争の可能性が考えられていますが、記録として残っているのは紀元前1274年(1285年前後とも)のカデシュの戦い、ラムセス2世の時代の古代エジプトとヒッタイト帝国との戦いです。数々のヒエログリフや楔形文字に歴史や祈りが刻まれてきましたが、エジプト第19王朝まで、メソポタミア文明ではウルクやアッカド、バビロニアなどヒッタイト帝国以前の国々までは戦争の記録がないことになります。
その古代エジプトは数々の戦いを経て最終的にはローマ帝国に敗北、属州アエギュプトスとなります。数々の戦争や内乱で知られるローマの男性性が、ファラオと王妃、男性性と女性性がバランスを取って政治や祭祀を行っていた古代エジプトを滅亡させたのです。
戦うという行為は、男性性の領域です。男性性は行動力や競争などで表現され、目的に向かって進む力になります。そして女性性は受容、共感、調和などの性質を持ち、コミュニティをつなぐ元となります。古代エジプトが長期間安定していたのは、このバランスが取れていたことが理由の一つでしょう。
政治の世界やSNSなど、現代は男性性が過剰になっているように感じられます。ですが、本当の意味で平和な世界を作るためには、男性性と女性性のバランスが必要なのではないでしょうか。両者が助け合って初めて、私たちは「ワンネス」、統合へと進むことができるのです。
誰かが小さな「争い」をやめようと決心して行動をすれば、その人の周囲は少しずつ穏やかになっていくでしょう。そして周囲の人たちも、それぞれの身近な人たちに影響をもたらすという波状効果で平和が生まれるはずです。言い古された言葉ですが「お互いに思いやりを持ちましょう」がすべてです。中途半端に古く、もう私たちに幸せな気持ちをもたらさない男性性優位の価値観を捨てること。そして古代の叡智を取り戻すことで、私たちの未来は平和へと回帰していくのではないでしょうか。