世界をピラミッドに例えて何かを説明するのを見たことがある方は多いでしょう。上の方は少数、土台を作っているのは下層で表される多数になっています。これが政治や社会を表す場合、上位に来るのは政治家や公僕などという言葉からすっかり遠ざかってしまった役人たちでしょうか。少なくとも、好き勝手に税金を増やされてそれに対抗する公的な力を持たない私たちは下層で表されるのでしょう。口でどれだけ崇高な理念を唱えても、行動が伴わない人間が上位にいるピラミッド構造に多くの人が不満を抱えています。
ピラミッド構造は「頂点に立つ者が絶対的な権威を持つ」という構造です。今となっては宗教やスピリチュアルのコミュニティもこの形になっていることが多いですよね。
この構造では、「上」の意見を呑むことが求められます。すると「下」にいる人たちは自立心を失っていき、上の意見は絶対的なもののように感じて依存することになります。例えばスピリチュアルのコミュニティであれば、「愛」や「調和」「自由」を掲げているのにリーダーの意見以外は無視される、軽視されることがあります。トップが「キラキラ」的な暮らしをする一方、下の人間は無理をして多額のお金を払うような場合、その現実は単なる「権力の委譲」です。社会のあり方に不満を持ちながら、解決策を求めた先で同じような社会を再生産しているにすぎません。
人間は不安や疑問を感じたとき、それを解消してくれる「答え」を持っていそうな人に頼りたくなります。けれどその人がすべての答えを持っているのではないかと期待するとき、依存が始まります。その人以外の意見には耳を傾けずに「この人はわかっていない」などと感じるのは、自分の感覚を信じたいがための防衛本能から来ているかもしれません。
宗教やスピリチュアルのコミュニティも社会の一部である以上、似たような権力構造に陥りやすいのでしょう。ピラミッド構造は効率的な管理や段階を表すのには便利ですが、社会やコミュニティを表そうとすると対等や自由とは逆のイメージになってしまいます。
こういったピラミッド構造を壊すためには、一人一人が意識的に自立・自律した人間になる必要があります。政治家であれコミュニティの上位の人間であれ、その人が自分の権力や利益を守ろうとしていると感じたら、もしくは口で言っていることと行動が違うと感じたら…。一度そのピラミッドから離れ、浮遊分子としてその構造を遠くから眺めてみる必要があるかもしれません。
「スピリチュアルは宗教とは違う」と言っているスピリチュアリストはたくさんいます。ですが、その人を絶対的に信じるよう求められるとしたら、どういった点で宗教と違うのでしょうか。どんなコミュニティであっても、ピラミッド構造のままでは既存の社会や政治と変わりません。「新しい世界、よりよい世界を作る」ためには、まずこのピラミッドから離れ、自立した個としての道を模索する必要があるのではないでしょうか。