ラーが取った創造の形は、人間が誕生する様相と相似形を成す。数え切れないほどの細胞からなる子宮という場所で女性原理と男性原理が結合し、ひとつの細胞がどんどん分裂して一人の人間ができる。私たちは一人の人間として形を取っているが、実際には多くの細胞の集合体だ。受精卵が一人の人間として生まれ出るためには、母なる子宮の中で果てしない回数の細胞分裂を行わなければならない。
いわば私たちは、一になるためには可能な限り小さく自分を分割させなければならない。さらに言い換えれば、細分化された自分を「集める」ことで私たちは一になることができる。そのために自分をまるごと理解する必要があるのだ。地球に生まれた某という細分化された「自分」を理解しなければ、どうして地球や宇宙を理解できるようになるだろう。
人間の視点 0(混沌の海)から1(ラー)が生まれた 神的な視点 無限から無限の2(男性原理と女性原理の混合した存在ラー)が生まれた 人間の視点 1(ラー)から2(シュウとテフヌトと呼ばれる原理)が生まれた 神的な視点 無限もしくは2(ラー)から無限の4(シュウとテフヌトと呼ばれる原理)が生まれた 人間の視点 2(シュウとテフヌト)から4(各原理を表すイシスたち4兄妹)が生まれた 神的な視点 無限の4(シュウとテフヌト)から無限の8(各原理を表すイシスたち4兄妹)が生まれた
今の「自分」がすでに細分化されたものだと理解すれば、逆算の式に向かうときに何をすればいいかもわかっていく。霊的な世界で古くから言われてきたように、ここで関わってくるのが「エゴ」だ。
ラーの分身たち、神々や人間が生み出されていく(=創造が進む)ことは神と人間が分離したことを意味しない。神を自分たちの外側の存在だと見なすのは、前編で書いた原理が理解されていないための誤解だ。私たちが二元論だと思ってきたものは大雑把過ぎるのだ。まやかしの二元論の世界では必然的に「比較」が起きる。「男のくせに」「女のくせに」だったり、「あの子はこうなのにあなたは…」だったり。他者との比較に気が行っていて、個人の本質を見ていない。
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