『古代エジプトから考える分裂と統合(前編)-二元性でできた世界』『古代エジプトから考える分裂と統合(後編)-宇宙の一部としての「わたし」』で、人間は神とイコールだと書いた。その「神」は一神教の神ではなく、地球を構成する要素にその要素を司る存在として「神」という名をつけたものだ。
YHWHの宗教が争いを生んだのは、”父”という言葉で表される絶対神が、二つの原理より先に存在したところから始まっているためだと思う。まず男性性だけがあり、女性性が欠落していたからだ。育む女性性が介在せずにどうやって命を生み出すというのか。太陽神を崇拝するなら月の神も崇拝するのが大元の姿だろうし、火の神を祀るなら水の神も大切に扱わなければならない。一体いつから光だけが、太陽が、火の要素がメインで崇拝されるようになり、闇や水の要素は一段低くされてしまったのだろう。
男性性は闘い、大切なものを守ろうとする。女性性は育み、見守る。どちらも一人の人間の中にある要素なのだから、男らしく女らしくという言葉など成立しないはずだ。本来の要素、対になるふたつの性質を時と場合に応じてバランスよく使うことが大切なのではないだろうか。また、女性の権利を!といって声をあげ、今までのフォーマット通りに戦うのは男性性の働きでしかない。それぞれの特性に則った生き方や権利を模索し、その上でお互いの価値を認めることでより生きやすい社会ができるのではないだろうか。
スピリチュアルでは、すべてはひとつだという意味で「ワンネス」という言葉が使われる。だがその1は∞でもあると理解していないと、おそらく「間違った神」の元に帰ることになってしまう。神的な視座で言えば、私たちの本質は神から分かれた∞分の1で、いつか∞である0に帰るのだ。宇宙のビッグバンから生まれた地球も人間と同じように、いつかビッグクランチとともにそこに還るだろう。始まりがあれば終わりがあるのが二元論の世界だが、それはまた新たな始まりを生むのだ。私たちは決して死なない。0は単なる0ではなく∞だから、0=∞である以上、営みは続いていく。
0=1=1=(1/2+1/2)=(1/4+1/4)+…(1/∞+1/∞) ヌン=アタム=ラー=(シュウ+テフネト)=(イシス+オシリス+セト+ネフティス)…(量子+量子)
∞の定義は「どの数よりも大きい数」、∞を含んだ計算の答えはすべて∞。式の中の1/2も1/4も逆算すれば∞/∞=∞になり、0=∞、1=∞、2=∞、4=∞、1/∞までの間で表される人間も「n=∞」だ。私たちにとっての神、ラーやアタムともイコールで結ばれる。だとすれば、一なる原理としての意識を取り戻せば0、ヌンに戻ることができるはずだ。おそらくヌン以上の存在は地球で知覚されることはないだろうが、宇宙のどこかなり異次元のどこかにヌンを創った存在がいるのだろう。いずれにせよ、地球に生まれた私たちのゴールは今のところラーということになる。
量子物理学では、ブラックホールの中で凝縮された物質が爆発したという説がある。真空という「何もない」空間は、計測できない物質で満ちているとわかっている。宇宙の始まりは爆発的膨張だというビッグバン理論と組み合わせたとき、真空空間に満ち溢れた物質がブラックホールで重力と結びつき、その爆発で宇宙ができたという仮説が成り立つ。
この真空が神話でいう原初の海だと考えたら、そこに生まれた宇宙意識アタムが地球に関わるためにラーという形を取り、「神々」が生み出されたと言えるのではないだろうか。さらに、多元宇宙論ではブラックホールの中には別の宇宙が作られている…地球がある宇宙もブラックホールに包まれていて、それを超えたところにさらに別の宇宙が存在するという説がある。UFOは夜空の濃い闇の中から出現し(この闇をゲートという)、別の闇に移動する。量子物理学は今まで怪しいとされてきたスピリチュアルと科学を結びつける可能性がある。
目の前で起きたことしか信じられないのは当然だ。だが、UFOを見る人間にとってそれはごく当たり前の日常だし、霊的な存在とコミュニケーションするのも幽体離脱をするのも同じだ。スピリチュアルをフィーリングだけでしか使っていなければ、他者との共通点のない個人のエゴに基づいたものになってしまうが、感覚と理論、思考と感情をすべて使えば周囲にも伝わる変化が起きる。私たちは「逆算の式」で、分裂の流れの中で失っていた要素を取り戻し、神の分身としての自分を思い出せるだろう。