同じように目に見えない世界を扱っていても、心理学や精神医学を胡散臭く思う人は少ないと思う。だが宗教やスピリチュアルを怪しいと思う人は多いだろう。学問として蓄積してきたものと、各々がばらばらに自説を説く世界という違いかもしれない。宗教やスピリチュアルには「のめり込んだら危険」というイメージが付き纏ってきた。
危険なスピリチュアルとして知られたものではホメオパシーの件がある。ビタミンK欠乏による出血性疾患を予防するため新生児にはビタミンKを投与するが、助産師がビタミンKではなくホメオパシーのレメディを与え、結果的に新生児が硬膜下血腫で死亡した。母親は助産師を提訴、助産師側が和解金を支払っている。日本の公的資格ではないホメオパシーを医療分野に持ち込み、最悪の結果を招いたのだ。ホメオパシーは波動医学とされるが、そもそも目に見えないものは人によって感じる・感じないなど、感受性に大きな違いがある。
上海の病院では、気功や漢方などの中国医学と西洋医学は相互補完的に共存していた。例えば捻挫で病院に行ったら気功治療をしてから湿布が処方され、風邪なら西洋医学と漢方どちらの薬も処方されるなどだ。気功治療の効果は同じように出るわけではなく、捻挫で歩けない人が気功治療を受けたあと普通に歩いて帰ったケースがある一方、首を捻って気功治療を受けたがよくならなかった人もいる。
西洋医学は対症療法だと言われるが、一刻を争うときに長期的な体質改善や穏やかな効き目の治療では手遅れになってしまうかもしれない。近代になって新生児の死亡率が格段に低くなった理由を考えれば、デリケートな時期を乗り越えるにはビタミンKが必要だという発見があり、新生児に行き渡るよう体制を整えてきた事実がある。
スピリチュアルの世界でも、多くのヒーラーは体調に関わる相談を受けたら病院にも行くよう伝えるはずだし、医学的なアドバイスを許されているのは医療資格を持った者だけだ。目に見えない世界に触れて、万能感を持ったヒーラーはクライアントにとっては危険だと言える。データの蓄積もなく、一定の効果を保証できるわけでもない「ヒーリング」を医療以上だと考えるなら、そのヒーラーは自信過剰か無知かどちらかだろう。
プロのシェフが料理するとき、材料の切り方、熱を通すならその方法、味付けの仕方を知っていて、その料理はどんな味でどんな見た目かわかっているはずだ。料理の苦手な人が同じ材料で作っても、シェフほどのものは作れないだろう。その人はシェフになる訓練をしてきていないのだから当然だ。
だがスピリチュアルの世界では必ずしもそうと限らない。一定の金額を払って数日間の「セミナー」に出席したら免状が出る。練習もせず、免状を手にしたらすぐ仕事にしようという人もいて、セミナーを行う人間が、自分が何をしているのか説明できないことすらある。もちろん、科学的な領域ではない以上全てを明確にすることはできないだろう。だが、その「天使」はどこからやってくるのか。「神」と呼んでいるのは何なのか、「チャネリング」とは何か、宇宙エネルギーとは何なのか。アセンションとはどういった状態なのか…。
「教える」側の人間が、当たり前のように使ってきた言葉を定義できていないなら、教える内容も定義されていない曖昧なものなはずだ。また、その人は口で説明しているような体験を実際にしているだろうか。人に「教える」というのは、相手に対して影響力を持つということだ。その怖さ、責任を考えたら、気軽にできる仕事とは思えない。シェフが一皿の料理を作れるようになるまでに重ねた練習と同じように、学んできたことや経験の吟味、検証、訓練を続けて新しい気づきを重ねなければ、一体何を教えられるというのか。
神や高次の存在を口で説明されても、経験するまでは腑に落ちないだろう。霊的な世界は本来「誰かに導いてもらう」ことはできない-誰も「あなた」を体験できないからだ。あなた自身が体験しない限り、他者の霊的な経験を知的に説明することはできない。
私たちは霊的な学びすら、学校の「勉強」のように捉えがちだ。学校なら目標や範囲が同じなので、誰もが赤点を上回るように準備できる。だが霊的な学びはそれぞれ異なるため、比較に意味がない。自分の目標地点-赤点ギリギリでも満点を目指すのも、自分自身の設定になる。スピリチュアルでも宗教でも、目に見えない世界に踏み込むときに必要なのは盲信ではなく「自律」なのではないだろうか。