およそ半分が日本語訳、もう半分はダスカロスことスティリアノス・アテシュリス博士の手書き原稿というトリッキーな構成の本。ダスカロスの娘であるアテシュリ女史に託していたという原稿は、ヒエログリフの知識がない者にとってはこの形でなければならなかっただろうと思う。神聖な言葉、神と繋がるための言葉だと言われるヒエログリフはそれ自体が高い周波数を持っていて、教えの本質はその中に含まれている。日本語に訳しただけでも変化してしまう周波数が、手書きのヒエログリフによって補正されているという形だ。

だが、この本を読んで知識をインプットしたとしても、真理とよばれるものには僅かに一歩近づくだけだろう。教えを真に自分に落とし込む=肚に落とすためには、理解するだけではなく常に「そう在る」ための実践を必要とする。
さらに、ヒエログリフは子音だけを記述する文字なので、発音に関しては後世の推論でしかない。音と文字が組み合わされたものが言葉であるにも拘らず、本という文書形式であること、そもそも発音がわからないというふたつの要因から、すべての前世の記憶を持っていたというダスカロスの叡智には最初から完全には届かないことになっているのだ。
その叡智にもう少し近づきたいと思うなら、おそらくヒエログリフの知識がある程度必要になってくる。私はテル・エル・アマルナというアクエンアテン(イクナートン)時代の都に行ったときに当時そこで暮らしていたときの記憶がものすごい勢いで体の奥から溢れてくるという経験をしたのだが、その記憶が相当部分で本の内容と一致していたので深い縁を感じ、ヒエログリフを学び始めた。それから改めてこの本を読んでみると、単に以前読んだことがあるからという以上に理解しやすいと感じられる。
この本をおすすめしたいのは、エジプトに縁がある…古代エジプトに生きた前世を持った人、真理や覚醒といった方面に興味とある程度の知識があり、意識の拡大―「私」の範囲が肉体に限定されないという経験―をしたことがある人だ。この本はある人にとっては難しくてとても読めたものではなく、ある人にとっては涙を流して感動するという類のものなはずだ。単純に意識の階梯だけが問題になるのではなく、真理という同じ山を目指すときにダスカロスと同じルートで登りやすいかどうかは、魂のルーツや経験が似ているかどうかによるだろう。霊的なルートはどれが優れている・劣っているというものではなく、そのときに最も有効な道が目の前に開けてくるものだと思う。
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