ナゴムとハードコアが残したもの 叫びの肯定と笑いの美学
スピリチュアルやメタフィジックスではよく「エネルギー」という言葉が使われるが、例えばアンデスの人たちは内側にたまった重いエネルギーをフチャと呼び、強い息を吐きながら外に出すという処理をする。内側に蓄積されたエネルギーの出口がなければ、それは人間を内側から蝕み、前にも後ろにも動けない状態を生み出してしまう。
エネルギーの処理と言っても、必ずしもスピリチュアルな方法である必要はない。運動をしたり大きな声で歌ったりなど、私たちは恐らく日常的に無意識の処理を行っているはずだ。
ハードコア・パンクの叫び
80年代後半、高校生だった私はせっせとハードコア・パンクを聞いていた。当時は5バンドくらいが出る企画ライブがいくつかあり、大阪などからの遠征組も毎月出演していてOUTOが来る月は本当にわくわくした。関西弁の「~じゃー!」の真実味が大好きで、本当に思っていることを歌っていないバンドは好きじゃないなと今でも思う。
S.O.BやDEATH SIDEの殴りつけるような音と言葉として聞き取れないほどの叫び。殴り合いは日常茶飯事だったが、それでも女性客は巻き込まれていなかったし演奏は止むことがなかった。ライダースにとんでもない量の鋲をつけてマーチンを履き、あの時代には異端とされていた金髪やカラフルな色の入った髪の人間は遠巻きにされていて、実際に社会的な制約も多かった時代だ。バンドをやっていた人がお金がなくて100円のパンを万引きして捕まったなんて話も聞いた。
サブカルとかカテゴライズしてくるけど、それに乗りたい人間が山ほど集まったらそれはもうサブじゃないじゃないか、バンドブームも含めて社会の動向が気に入らない!などと捻くれていたので、ハードコアのライブの後の私は「社会に反抗してやる」という攻撃的なエネルギーをまとっていた。自分では叫べない声で叫んでくれるのを見て、エネルギーがいわば戦闘態勢だったのだと思う。
ZOAの森川誠一郎が8日だか12日だか、水さえ飲まずにいたいう話をジンで見たことがある。DEATH SIDEやPAINT BOXのチェルシーはハードコア史では名高いギタリストで歪んだ馬鹿でかい音を出す人だったが、「ケンカはいやだよなあ」と殴られたファンに言っていたという。曲やライブでの表現は激しくても、内側ではみんないろいろ考えていたはずだ。
極限まで激しさの方向に振り切って声だけでなく楽器でも「叫ぶ」のは、外向きに自分自身のエネルギーを叩きつける方法論だと言える。叫ぶ必要のある人間、叫びを聞きたい人間は今現在にも存在するだろう。
ナゴムという舞台
ケラ(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が設立したナゴムレコードというレーベルは、ハードコアとは全く異なる表現方法を取っていた。圧倒的に男性が多いハードコアに対して、ナゴムのライブには不思議な髪型をしたカラフルなの服を着た女の子たちが集まっていた。ケラ率いる有頂天は私にとって「決定的に頭がいい」バンドだ。確信犯のように新しい音や歌詞世界を提示し、客側はライブを見ているはずなのに観察されているような気分になる。私は当時からステージにのめり込むタイプのファンではないので、その距離感をさらに観察しようとしていた。有頂天のライブのエネルギーは、客側が「受け取る」類のものだったように思う。
同じナゴムでも、電気グルーヴの前身である人生はまた違うタイプだった。白塗りのオバQや踊ったり立ったりしているだけのメンバーがいて、彼らの名乗る名前もとんでもなくくだらなくしてある(なんだよ畳って笑)。「ライブとしての正解」がなく、ただ自分も一緒に笑っていられるような、同じ高さに立っている空気があった。「まじめでいなければならない」という昭和の自意識を軽々と笑い飛ばしていく人生は、私にとって爽快なバンドだった。
セルフィッシュはハードコア、YBO2の北村昌士が作ったトランスレコードならポジパンというような同系統の音楽を集めたわけではなく、ナゴムレコードには筋肉少女帯やたま、痛郎、ばちかぶりなどジャンルレスに「少し変わったバンド」が所属していた。「宗教か学級崩壊」と言われたナゴムは、まさにケラが面白いと思うものを集めた舞台だったと言える。
「変な人たち」のエネルギー
どのバンドも影響を受けてバンドのファンとしての髪型や格好をしていた人間も、当時の社会では「変な人たち」という扱いを受けていた。叫ぶ人間がいて、バカになる人間がいて、距離を置いて観察する人間がいた。内側に潜って自省する人間も、ただ音楽だけ、ただ見た目だけで誰かを応援する人間もいた。それぞれの人間に合った場やエネルギーがあり、自由に居場所や行動を選んでいた。あの頃を形作ったエネルギーは「誰かの意見に左右されずに好きなようにする」人間たちが作っていたものなはずだ。
そしてその変な人たちの中には、おそらく変なまま大人と呼ばれるようになった人間がかなりの数存在する。少なくとも私はそのまま変な大人になり、自分と同じくらい大切にしたい人たちができて変なまま彼らをサポートできるようになった。常に自分という基準で動いてきたのは私の場合は正解だったと思っている。誰でも自分の世界が広がっていけば、狭い世界の基準にはまれないからといって苦しまなくてよかったんだなと思うようになるだろう。本質的な思いを大切にすれば、変な人のまま生きていくことはいくらでもできるのだと思う。