封印は解かれたのか? 那須・真っ二つに割れた殺生石と九尾の狐伝説
2022年3月、世界中を駆け巡った衝撃的なニュースを覚えているだろうか。
栃木県那須町の荒涼とした大地に横たわる、国指定名勝「殺生石(せっしょうせき)」。近づくものの命を奪うと恐れられてきたこの毒石が、突如として真っ二つに割れたのだ。ロシアがウクライナ侵攻を始めた直後だったこともあり、SNSでは「妖狐が歴史を操っている」といった冗談とも本気ともつかないポストもあった。世界情勢が混沌とする中、3500年にわたる壮大な「妖狐」の物語が浮かび上がってきたのだ。
死を呼ぶ石の正体 松尾芭蕉も見た地獄の光景
殺生石は、那須連山の主峰・茶臼岳の麓、那須湯本温泉付近に位置する溶岩だ。この一帯は火山活動が活発なエリアで、地面からは硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒ガスが絶えず噴出している。古来、このガスによって多くの生き物が命を落としてきた。石の名前に「殺生」という仏教用語が使われたのは、近づく者の命を奪う「死の石」という意味だ。
江戸時代の俳聖、松尾芭蕉は『おくのほそ道』の中で、この地の異様な光景をこう綴っている。
「石の毒気いまだ滅びず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す」
砂の色が見えなくなるほど虫たちの死骸が積み重なっていたというその光景は、科学がまだ発達していない時代の人々の想像力を大いに刺激したことだろう。
三国を滅ぼした「白面金毛九尾の狐」
この石には自然現象というだけでは片付けられない「怨念」が刻まれているという。九尾の狐-インド、中国、日本を渡り歩き、歴史を裏から操ってきたという最凶クラスの妖怪だ。金色の毛で覆われ、顔は白く、9本の尾を持つその姿は小牛ほどの大きさだったという。変幻自在の狐は美女に化けて王を惑わせ、何度も国を滅ぼしてきた。
- 天竺(インド):王子を惑わして1000人の首を刎ねさせる。
- 殷(中国):絶世の美女・妲己に化けて紂王を溺れさせ、国を滅亡に導く。
やがて妖狐は海を渡り、ついに日本へと上陸する。
平安の都を揺るがした玉藻前
平安時代後期、鳥羽上皇の宮廷に「玉藻前(たまものまえ)」という絶世の美女が現れた。彼女は容姿端麗であるだけでなく、あらゆる知識に精通し、琴の名手でもあった。上皇は彼女に深く溺れていくが、呼応するように上皇の身体は日に日に衰弱し、原因がわからないまま床に伏せるようになる。
この異変を察知したのは陰陽師・安倍泰成(あべのやすなり)だった。 泰成は上皇の病の原因が玉藻前にあることを見抜く。彼女は美女に化けた九尾の狐であり、上皇の生気を吸い取っていたのだ。
泰成が祈祷を始めると、逃げ場を失った彼女は美しい姿を失い、白面金毛九尾の狐としての正体を現した。「汝の法力に破れたのは無念じゃ…」そう言い残し、狐は闇へと消え去った。
那須野ヶ原の死闘と毒石の誕生
上皇の病は回復したが、逃げ延びた狐は那須野ヶ原に潜伏して人里を襲い続けた。 事態を重く見た朝廷は、上総介広常と三浦介義純を総大将とする8万余りの討伐軍を編成する。そして40日間にわたる追跡の末、那須の領主・那須貞信が放った神授の鏑矢が狐を貫いた。三浦介の長刀がとどめを刺し、ついに妖狐は息絶えた。
だがその怨念は消えなかった。 死んだ狐の体は巨大な石となり、猛毒のガスを放出し始める。近づく者すべてを死に至らしめる「殺生石」がここに誕生した。
玄能が砕いた呪いと飛び散った破片
殺生石が人々を苦しめ続けて約300年。室町時代の曹洞宗の名僧・源翁心昭がこの地を訪れた。 和尚は風の吹く日を選んで殺生石に向かう。一心に大乗経を唱え続けると、石の中から玉藻前が現れた。
「和尚の法力により、ようやく成仏できる」
玉藻前がそう言うと石は三つに砕け散り、破片は日本各地へと飛び散ったとされる。金槌を「玄能(げんのう)」と呼ぶのは、この話に由来するという。岡山県、新潟県、広島県、大分県などに殺生石の伝説が残っているのは、飛び散った破片が各地へ飛来した証かもしれない。
真っ二つに割れた殺生石の今
長らく注連縄が巻かれ、鎮座していた殺生石。それが割れたのが2022年だ。行政や専門家は「長年の風雨による経年劣化、自然な割れである」と科学的な見解を出している。だがその直後に殺生石付近ではイノシシ8頭がガス中毒で死亡しているのが発見される。石の持つ「殺生」の力は未だに衰えていないのだ。人々が「封印が解かれた」と言いたくなるのも、単なる妄信とは言い切れない不気味さがある。
殺生石を訪ねて
殺生石は那須を代表する名所として現在でも公開されている。硫黄の匂いが立ち込める遊歩道を歩くと、無数の石仏が並ぶ「千体地蔵」が迎えてくれる。
火山現象という科学的な事実と、人々がこの石について語り継いできた物語。真っ二つに割れた石を前に、あなたが感じるのは九尾の狐の執念だろうか、それとも長い時を経て得た魂の安らぎだろうか。答えは那須の風の中に漂っている。
[殺生石へのアクセス]
- 場所: 栃木県那須郡那須町湯本
- アクセス:JR黒磯駅からバスで約35分「那須湯本」下車、徒歩5分
- 入場料:無料
- 注意:有毒ガスが出ているため、ロープの外側への立ち入りは厳禁。