本気で恐ろしい拷問シリーズ 二律背反の象徴 鉄の処女
「鉄の処女」もしくは「アイアンメイデン(Iron Maiden)」という言葉を聞いたことはあるだろうか。イギリスのヘヴィメタルバンドとしても有名だが、元々は中世ヨーロッパで使われたという拷問器具の名称だ。
高さ2mほどの女性の形をした棺状の箱で、観音開きの扉の内側には無数の鋭い釘が据え付けられている。罪人をこの中に閉じ込め、扉を閉めると全身を釘が貫く…想像するだけで身の毛がよだつ代物だ。ドイツ語では「アイゼルネ・ユングフラウ(Eiserne Jungfrau)」、「ニュルンベルクの処女(Virgin of Nuremberg)」とも呼ばれる。
聖母マリアを模した拷問器具
名前の由来には諸説あるが、最も有力なのは聖母マリアを模して作られたという説だ。確かに処女懐胎で知られる聖母マリアと親和性が高そうではある。だが、慈悲深き聖母の姿をした器具が罪人を抱きしめ、その「抱擁」が死をもたらすというのだから、なんとも皮肉な名前だ。
しかも無数の釘は急所を避けるように配置されていて、すぐには死ねない―数日間苦しみ抜いた末に失血死することになる。底が抜けるように作られていて、アイアンメイデンの犠牲者は下の水路に落とされ、刃物で切り刻まれながら城外へ流されたなんていう話まである。想像を絶する残虐さだが、本当にそんなことをしていたのだろうか。
実は使われたことがない?
…という前置きからも想像できるように、結論から言えばこの拷問器具が実際に使用されたという確実な証拠は存在しない。長年の調査の結果、「鉄の処女伝説は根拠のないフィクション」だというのが現在では主流だ。
根拠としては、現存する「鉄の処女」がどれも18世紀末以降に作られたものだという事実がある。ニュルンベルクの鉄の処女も、銅版彫刻師がファイストリッツ城のものを真似て作った模造品だった。しかもこれすら連合軍による爆撃で失われている。
そして、中世の公的な記録には鉄の処女に関する文献が一切見つかっていない。鉄の処女について書かれているのは、19世紀のロマン小説や噂話のレベルを超えないものばかりだ。最も古い記録とされる「1515年8月14日に偽金作りの罪人が処刑された」という記録も作り話だったことが判明している。
もっと基本的な考え方として、拷問執行者たちはキリスト教信者なのに聖母マリアを拷問道具にすること自体があり得ないという意見もある。
原型は「恥辱の樽」
では、鉄の処女とは一体何なのだろうか。研究者たちによれば、原型は「恥辱の樽」「酔っぱらいのマント」という晒し刑の道具だったという。16世紀のイングランドで酔っぱらいに対して使われたもので、頭だけが出る穴が開いた樽を着て市中を歩かされるという恥辱刑—もちろん内部に釘などついていない、単に晒し者にするための道具だった。
19世紀に入って中世への関心が高まる中で、「恥辱の樽」にマリア像の頭部と内部の釘が加えられ「恐ろしい拷問具」として再構成されたのだろう。ゴイダーが作らせた複製品は見世物としてヨーロッパ各地に売られていった。現在世界15か所ほどで展示されている鉄の処女は、ほぼすべてがこの系統の複製品だという。
日本では明治大学博物館(東京都千代田区)にレプリカが展示されているが、釘は後から付けられた可能性があるため外して展示されている。
血の伯爵夫人との結びつき
鉄の処女には、もうひとつ有名な伝説がある。ハンガリーの「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリ(Báthory Erzsébet)が、若さを保つために処女の血を絞り取るために600人以上を殺害したというものだ。侍女が髪をとかしていたときに引っ張られたエリザベートが激怒してその侍女を殺害、その時に血がついた肌が滑らかになったように感じた。処女の血に美容効果があると信じ込んだエリザベートは領民の娘たちを片っ端から攫い、生き血を搾り取るようになったという。
エリザベートは確かに多数の侍女への虐待で告発され、城の一室に幽閉されたまま死去した。だが近年の研究によって、これは神聖ローマ皇帝マティアス2世がバートリ家への莫大な借金を踏み倒すための陰謀だったとする説が有力になっている。この伝説もまた作り話だということになる。そもそも「鉄の処女」という拷問具自体が存在しなかったのだから、それを使って血を搾り取ったという話はあり得ないのだ。
伝説が生き続ける理由
実在しなかったにもかかわらず、鉄の処女は今なお「中世の代表的な拷問具」だと認識されている。ゲーム、漫画、映画、小説などにも頻繁に登場し、ヘヴィメタルバンドの名前にまでなった。
鉄の処女がこれほど人々を惹きつけるのは、慈悲深い聖母の姿をした拷問器具が人間を抱きしめて殺すという倒錯的なイメージによるものだろう。中世ヨーロッパと聞いて思い浮かぶ暗いロマンティシズム、宗教への畏怖と反発、そして人間の残虐さに対する恐怖と魅惑…。そういった二律背反的な感情を引き受ける象徴になっているのかもしれない。人間の想像力が現実より恐ろしいものを生み出した例だと言えるだろう。
参考文献
- Wolfgang Schild『Die Eiserne Jungfrau. Dichtung und Wahrheit』(ローテンブルク犯罪博物館叢書第3巻、2000年)
- 浜本隆志『拷問と処刑の西洋史』(新潮選書、2007年)