高橋ハナのいといみじ ベトナムに行ったら上海の傷が癒えた話
12月末にベトナムに行ってきた。友達が駐在になって「おいでよー」としきりに言ってくれるので、娘と2人で「んじゃ行くか」となったのだ。
彼女は私が最初の旦那と結婚していた頃からの友達だ。会社の飲み会で遅くなったときうちに泊まることになって、2歳だった娘はちょこちょこと歩いて彼女のひざの上に座った。それからもう25年以上仲良くしてもらっている。ありがたいことです。毎年一緒にFUJI ROCKに行ったり、私たちが上海に住んでいた頃は帰国するたびにご飯を食べに行ったりしてきた。
昔はフジの装備を揃えるのもいくらかかるか計算してたなあなどと思うと、今回のベトナムで一緒にムイネーに行くことにした私たちが躊躇なくオーシャンビューを選んだのは実に感慨深い。あの頃は2人とも頑張ってたなって思うと、こんな未来がくるって当時の自分たちに教えてあげたくなった。たまに贅沢できるくらいにはなるよって。
私は5年ほど上海に住んでいて、娘はまだ幼稚園児だった。彼女は私の再婚に伴って突然大好きな祖父母と離れ、言葉ひとつもわからない外国に連れて行かれた。機嫌が悪くなると私たちを完全に無視する新しい父親に怯え、外に出れば言葉の通じない人々に怯え、ほしいおもちゃも手に入らず、仲良くなった友達は日本に帰国していく日々の中、娘は人を信用できなくなった。「大きくなっても結婚したくない。ママになったら一人だけ大変だから」と言ったのは小学1年生の頃だと思う。トラウマはずっと続き、彼女は恋愛に期待もせず、友人にもあまり個人的な話はしないまま大人の年齢になった。
「もう海外には行きたくない」と言っていたわりにはシャスタやハワイには行ったんだけど、娘曰く「緊張するのはアジア」。アジアに行くのはその頃の旦那と離婚して以来初めてで、娘はチケットを取ってからずっと緊張していた。「馬鹿なこと言ってるのはわかってるんだけど、行ったら帰ってこれなくなるんじゃないかって思うんだよ」と。
ベトナムへの飛行機は真夜中発早朝着で、寝やすい席だったにもか変わらず全く眠れなかったらしい。空港に迎えに来てくれた友達の姿を見つけても、まだ娘は緊張していた。大好きな南国フルーツのジュースを注文しない程度に。3人でGrabに乗り景色を眺めていたとき、「やっぱり上海に似てる…」と彼女は呟いた。私は上海という場所が大好きだったので、ホーチミンも好きだなと思った。
夏の生温い風と食べ物の匂い、ところどころ穴が空いてたりする歩きにくい道。そこをとんでもない交通量の間隙を縫って渡る。何ならちょっと手で牽制しながら。茶色の水が流れる川、強い太陽の日差し、ちょっとフランス語に似てる柔らかい言葉。
眠気でダウンして友達のベッドで眠らせてもらった娘は、起きたらすっかり別人になっていた。「なんか楽しくなってきた」と言った娘は連れて行ってもらった地元の店でフォー・ボーに舌鼓を打ち、きれいな陶器や雑貨を売っているお店で象さんの置物を買うか悩み(そのときは買わなかったが、結局最終日にもう一度行って買った)、その日泊まったマジェスティック・サイゴンのおじちゃまとニコニコ話をした。
あの頃の家と似た造りの部屋で眠らせてもらって、子供だった頃の彼女が癒やされたんだと思う。もう好きなときに日本に帰っていいし、また来たければそれもできる。怖がりながらもアジアの国に来たことで、幼かった娘がやっと腑に落とせたのだ。帰りたいのに帰れない場所だった日本に今は住んでいて、帰国子女な上に変わってるって理由で遠巻きに見てくる人たちとはつきあわなくていい年になった。
ムイネーでは今まで見たことがないほどたくさんのロシア人を見たり、フェアリーストリームで川下りをする蛇ちゃんたちに遭遇したり、遺跡の前のお土産屋さんにいた生まれたての子犬たちを愛でたりとあまり日本では経験できないような「楽しい」体験をして、私たちは浦東経由で日本に戻ってきた。元々取っていたチケットは無駄にしてしまったけど、上海を経由しなきゃダメだと思った。次は旅行で行ってちゃんと拾うけど、あの頃の私たちの欠片を今回ちょっぴり持って帰ってこなくちゃって。
0時半にホーチミンを離陸して5時過ぎに浦東着、乗り継いで12時半に成田に着いてリムジンバスで羽田まで行き、帰宅したのが16時頃。急いでシャワーを浴びて着替え、千也茶丸ファンクラブイベントで下北沢に行くという完全に狂気の沙汰。私は声を大にして娘に言いたい。「帰ってこれない気がするとか言ってたけど、帰りのチケット無駄にしてまで帰ってきてますが?」と。
そして20年近く「海外には二度と行きたくない」などと言っていた娘は、次にベトナムに行くときもあのホテルがいいなどと言ってちょっぴり節約を始めたのでした。