
天狗にさらわれた少年 江戸のリアル異世界転生『仙境異聞』
異世界転生ものが好きな方は多いと思います。トラックにはねられて別世界に飛ばされ、チート能力で無双する。そんな物語が小説投稿サイトにはあふれています。けれど約200年前の江戸時代、「異世界から帰ってきた」と主張する少年が実在し、当時の知識人たちを巻き込む大騒動を引き起こしていたことはご存じでしょうか。
その少年の名は寅吉。15歳で江戸の浅草に現れ「7歳のときに天狗にさらわれた」という証言は、国学者・平田篤胤によって『仙境異聞』という書物にまとめられました。門外不出とされたこの奇書ですが、2018年にSNSで話題になり異例の重版を果たしています。いったい寅吉は何を語ったのでしょうか。
腰を上げた国学者
1820年10月1日、国学者の屋代弘賢が平田篤胤を訪ねてきました。その用事は、「天狗に誘われて異界を見てきたという少年がいるそうです。先生も会いに行きませんか?」というものでした。平田篤胤は、本居宣長と並ぶ国学者の一人です。古事記や日本書紀の研究で有名ですが、実は篤胤にはもう一つの顔がありました―死後の世界や見えない世界に強い興味を持つ、いわばオカルト研究家としての一面です。
篤胤は来客中だったにもかかわらず腰を上げました。実はかねてから「神隠し」に遭った人間に直接話を聞きたいと思っていたと言いますが、実にフットワークが軽いです。
訪ねた先にいたのは、痩せた少年でした。名は寅吉。下谷七間町(現在の台東区元浅草あたり)の生まれで、7歳のときに天狗にさらわれ、以来、人間界と「彼の境」と呼ばれる異界を行き来してきたと言います。普通なら鼻で笑われるような話ですが、篤胤は寅吉の語りに「揺らぎがない」ことに気づきました。
壺で空を飛ぶ
7歳のある日、上野の寛永寺で寅吉が遊んでいると、見知らぬ老人が現れました。老人は寅吉を「壺のようなもの」に乗せ、空を飛んで常陸国(現在の茨城県)の岩間山へ連れ去ったといいます。
その老人の名は杉山僧正。年齢はなんと4000歳近く、岩間山に住む13人の天狗の長でした。寅吉は杉山僧正のもとで修行を積み、山から山へと「山周り」という移動を繰り返しながら、さまざまな土地を訪ね歩いたそうです。
寅吉曰く「天狗界には人間の願いがひっきりなしに届く。だから天狗たちは気楽そうに見えて、実は忙しい」。願い事の処理に追われる天狗…なんだかカスタマーサポートみたいですね。
異界の詳細すぎる描写
篤胤は寅吉を自宅に住まわせ、数年間に渡って取材を続けました。その内容は驚くほど詳細です。仙境には人間界とは違う着物、武器、楽器がある。鉄ばかり食べる奇妙な獣がいて、「ノブスマ」「豆つま」と呼ばれる妖怪が野山に暮らしている。「二年の間を過ごすのを、常人が過ごす一日ほどの間に感じる」という時間の流れ。弘法大師は死後、天狗になっている―などなど。
筑波山には36、加波山には48、日光山にはなんと数万もの天狗が住んでいるとも言ったそうですが、数万はさすがに多すぎるのでは…。
そして「磁石が北を示さない、昼でも夜のごとく暗い極寒の国」の存在についても語りましたが、これは北極のことでしょうか。また「月の近くまで行ったことがある」「太陽を観察した」という証言もあり、UFO研究家なら「杉山僧正は宇宙人では?」と考えるかもしれません。壺で空を飛ぶというのもUFOっぽいですよね。