ギョベクリテペ

オーパーツ大好き!ギョベクリ・テペ

 今回は「ギョベクリ・テペ」をご紹介いたします。近年SNSでも少し話題になったのでご存じの方も多いかと思います。「ギョベクリ・テペ」はトルコ共和国のアナトリア南東部の丘の上にある新石器時代に造られたと言われている遺跡です。この丘の大きさは直径およそ300m、高さは15mほどあり、地名は”太鼓腹の丘”を意味しています。

 この遺跡は1963年の考古学調査で初めて記録されました。その後ドイツの考古学者”クラウス・シュミット”がこの遺跡の重要性を認識し、その翌年から発掘調査を開始しました。2014年に彼が亡くなるまで陣頭指揮を執り調査が続き、その後もトルコのイスタンブール大学や、シャンルウルファ博物館、ドイツの考古学研究所の指揮のもと共同プロジェクトとして発掘調査が続けられています。

 遺跡の構成は、いくつかの区画に円形の石造建築物が集まった形をしています。中央に巨大なT字型をした石柱が2本あり、その周囲を取り囲むように小型の石柱が立てられています。T字型の石柱には色々な装飾が彫られていて、手や腕、腰布のようなものは”抽象化された人型神格”だと言われています。小さな石柱には超リアルなヘビやキツネ、サソリ、ライオンなどの動物が彫られていて、特定の動物や自然物を神秘的な存在として崇拝する”トーテミズム”や死と再生の象徴など、何かしらの信仰があったと考えられています。と言うことで、この遺跡は神殿のような使われ方をしていたと考えられています。

 と、さらっと概要を説明してみましたが、気づきましたか!?この遺跡のものスゴポイントがもう出てきていたことを!

 この遺跡の何が大発見だったのかというとまず造られた年代なんです。”新石器時代”と書きましたが数字で言うと紀元前9500年~9000年の間になります。放射性炭素年代測定の結果でこの頃に建てられて、紀元前8000年ごろまで使われていた証拠が発見されました。

 昔の建築物として有名なエジプトのギザにあるクフ王の大ピラミッドが紀元前2580年くらいと言われて、最古のピラミッドとされるジェセル王の階段ピラミッドでも紀元前2660年代とされています。「ギョベクリ・テペ」とピラミッドを比べてみてもギョベクリ・テペの方が約7000年も前の建物ということになります。

 更に、皆さんも歴史の授業で古代文明が栄えるには川があって、農耕が発展したからだと習いましたよね。しかしこの「ギョベクリ・テペ」には農耕が栄えていた証拠がなく、主に狩猟採集社会が築かれていました。ピラミッドのように権力の象徴ではなく、宗教的な建物というのも不思議ですね。

 宗教的な儀式を行うためには人が沢山集まる必要がある、人が定住するには食料が必要である、食料確保のために穀物を育てはじめる。と定説とは違う順番で発展していった可能性もあります。この辺りは今でも小麦の栽培地帯です。世界で見ても最古級の小麦栽培地帯なので、この頃から脈々と穀物類が栽培されていたのかも知れませんね。

 また、この時代に石灰岩を採石場から石を切り出し、石器で加工をして、木のローラーやロープのようなもので運ぶ。現代人が思っていたよりも相当高い技術が紀元前9000年前にはあったみたいです。石器時代というと髪の毛も髭もボーボーで、毛皮の服を着て、石斧を持って、ウホウホ言ってる姿が想像してしまう人も沢山いると思いますが、これらはかなりの偏見が混ざっていて、もっともっと統率が取れた集団で、高い技術や思想を持っていた人たちが住んでいたと考えを改める必要はあるかと思います。

 「ギョベクリ・テペ」は地中に埋まっていましたが自然災害の痕跡がありません。おそらく意図的な理由があって埋め戻されたのだと考えられています。宗教的な意味合いで”封印”されたのかも知れないし、他の場所へ移らないといけない何かがあり、大事な神殿として閉じられた可能性など、壊さずに埋められたというところでも大事に扱われていた要所だった事がわかります。

 現在でも世界遺産登録のもとに発掘と保全が行われています。「人間が作った記念碑的建築物の最初の現れの一つ」として登録されている事からもこの遺跡が重大な発見だったことがわかりますね。まだ遺跡の10%程度しか発掘されていないそうなので、これから先にもっと新しいことがわかってくると思います。1万年以上も前の人々の事がわかるなんてロマンしかないですよね。調査が進んでくれることを祈りましょう!

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