中世の疫病医

人間由来の薬 中世ヨーロッパの医療

 ヨーロッパでかつて、人間が由来となった薬が使われていた時代がある。死んだ人間が薬となり、生きた人間の命を救うと考えられていたのだ。これは都市伝説やオカルトの話ではなく、王や医師、聖職者も、処刑された人間の死体から作られた薬を使っていた。血や頭蓋骨の粉を飲み、軟膏として脂肪を塗る…私たちにとってはなかなかハードルが高いが、17世紀のヨーロッパではれっきとした「治療」だった。

血を飲むのは吸血鬼だけじゃない

 例えば癲癇(てんかん)の患者は、刑場で処刑直後の死刑囚の血を飲めば病が治ると信じられていた。処刑台の下でコップを持った人々が待ち構えていたという記録が残っているが、自分の手で新鮮な血を手に入れようというのはなかなか厳しいような…。

 頭蓋骨を砕いた粉は精神を鎮めるのに最適とされ、医師はワインに混ぜて飲むよう患者に伝えていたという。死体から取った脂肪は火傷や打撲、関節の痛みなどの薬となり、軟膏として販売されていた。

神秘の国・エジプトのミイラ粉

 エジプトから運ばれたミイラを砕いた粉は、さらに高い効果が見込まれていたようだ。出血や内臓疾患などに効果があるとされ、薬局にも並んでいた。ロンドンやパリでは高価な輸入品として人気を集め、偽ミイラまで作られるほどだった。貴族たちはこの薬を愛用し、自ら調合する者もいたという。

 この時期に粉と化したミイラの中には、後になって「重要人物のミイラだったのでは…?」となったものも。ちなみにエジプト人にとって神聖なものだったミイラ、当然ながら自国の人々は砕いて薬にしたりなどはしていない。

王のお手製“頭蓋骨酒”

 イングランド王チャールズ2世は、頭蓋骨を漬けた酒「King’s Drops」を作り、毎日少しずつ飲んでいたという。ハブ酒じゃないんだからなんのエキスが出るんだ!?と思うが、当時の人々にとっては「知的で自然界の法則に従った”哲学的かつ合理的”な医学」だったようだ。科学者フランシス・ベーコンや哲学者のロバート・ボイルなど、そうそうたる知識人たちが人間からできた薬の効能について書いている。

 「死には生命力が宿る」という思想がベースとなったが、「若くして暴力的に死んだ者からできた薬は効果が高い」というのは苦しんで死んだ動物の肉はおいしいなどという発想に、「似たものが似たものを癒す」という類似の法則はホメオパシーにも受け継がれているように思う。キリスト教の聖体拝領、パンとワインがキリストの肉と血となる― と重なる哲学でもあり、教会も人間由来の薬を禁止していなかった。

墓荒らしと吸血鬼ドラキュラ

 こうした薬が流行ったことで、ヨーロッパ各地では墓荒らしや死体泥棒が激増した。そして人の血が若さや活力をもたらすという思想は、吸血鬼ドラキュラの伝説に繋がっていく。血を飲むことが「悪魔的な行為」とみなされるようになったのは、宗教改革と啓蒙思想が広まってからのことだ。

忘れられた医学の影

 こうして人間からできた薬は、18世紀末になると急速に廃れていった。それは科学の進歩、死生観の変化、倫理の再定義が進んでいった時代と重なっている。だが、医療と倫理のバランスは先進医療が可能となった現代にも続いているのではないだろうか。

「私たちは野蛮ではないと言えるのか?」
「一人の命を救うために、どこまでを犠牲にしていいのか?」

 永遠の生を求める人は減っても、医療と倫理、そして哲学の境界線は曖昧なのだ。

【人間由来の薬】
薬品名(ラテン語)意味効果
Mumiaミイラ出血・癲癇・解毒
Cranium humanum人間の頭蓋骨頭痛・精神安定
Sanguis humanus recens新鮮な人間の血癲癇・虚弱体質
Adeps hominis人間の脂肪打撲・関節痛・火傷
Tinctura cerebri humani人の脳のチンキ記憶力・霊的活性
Os hominis calcinatione灰化した人骨歯痛・悪霊払い
Succus cadaveris死体の組織液若返り・生気回復

関連記事一覧