
オフィーリアの棺 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとエリザベス・シダル
掘り起こされた詩稿
交霊会を続ける一方、ロセッティは別の境界にも足を踏み入れていた。友人でもあった代理人のチャールズ・ハウエルが、何年も前から棺を掘り起こして詩稿を回収しろと言い続けていたのだ。長いこと拒んできたロセッティだったが、視力の衰えと詩人としての焦りの中で、ついにその信念が折れる。
1869年10月5日の夜、篝火の下で棺が掘り出された。ハウエルは「蓋を開けると、エリザベスの赤い髪は伸び続けて棺いっぱいに広がっていた」とロセッティへの手紙に書いている。
だがこれは作り話だ。実際の詩稿には腐敗臭と消毒薬のにおいが染みつき、数週間かけて殺菌処理しなければならなかった。ロセッティが取り戻したかった「ジェニー」という詩は、虫喰い穴が全ページを貫通していた。詩集は1870年に出版され、最初の千部はわずか数週間で売り切れたが、ロセッティは死の直前、友人のホール・ケインに「あれは友人たちに長年勧められ続けて、文学的な野心に負けた結果だった」と後悔の言葉を漏らしている。彼は遺言を残した。「ハイゲートには決して埋葬しないでくれ」と。
ベアタ・ベアトリクス
『ベアタ・ベアトリクス』、元のタイトルは「死のトランス状態のベアトリーチェ」。夕闇の中で目を閉じ、鳩が運んできた赤いケシの花を手に座っている女の絵だ。ケシはエリザベスの死因となったラウダナムの原料で、背景にはダンテと死の使者の影が描かれている。ロセッティはこの作品をエリザベスが死んだ頃から描き始め、1870年にやっと完成した。
スウェーデンボルグは「この世で起こることはあの世の写し」だと言い、ロセッティの父はダンテの詩でそれを確認しようとした。そしてロセッティは交霊会の暗闇にエリザベスの声を探しながら、ベアトリーチェとしての彼女をキャンパスの上に描いた。彼は蝋燭の前でも絵筆の先でも、死んだエリザベスに届く言葉を探し続けた。
自らダンテの名を選んだ男は、ダンテ・アリギエーリと同じことをしたのだ。愛する女性が生きていたときには向き合わず、9年も結婚を引き延ばして他の女と過ごし、死んで初めてエリザベスを永遠の存在にしようとした。エリザベスが書いた詩「消耗して(Worn Out)」はこう終わる。「あなたの声を聞いても泣かない。あなたの手が触れても目覚めない。ただ横たわって夢を見る。幸せな夢の中で死んでいく」
帽子屋で働いていた女性は、最も有名なヴィクトリア朝の絵画の顔になった。わずか32年の生涯だった妻の棺に詩稿を入れ、交霊会で呼びかけ、彼女への詩を取り戻すために墓を暴いた男がいた。ロセッティはあらゆる手段で彼女を取り戻そうとしたが、どれほど後悔しようと生前のエリザベスに差し出さなかったものは二度と受け取られることはなく、彼を待つエリザベスはもうどこにもいなかった。彼がエリザベスと引き換えに求めた享楽と社会的な成功は、今私たちの目にどう映っているだろうか。