お芋畑

ムナイ・キ──歪められた形を見つめ直す (後) それは祈りか、商品か

インカのシャーマニズムと「ムナイ・キ」

 最後に、「インカの伝統」と混同されて語られるムナイ・キ。西洋人の中には、ケロ族などアンデス系シャーマンに「ムナイ・キの儀式を行ってほしい」と依頼する者がいると言うが、ケロのシャーマンたちは「ムナイ・キ」という儀式を持たず、9つなり10の儀式を連続で行うような系統のイニシエーションも存在しない。

 一般的に知られる「ムナイ・キ」はケロとの結びつきの印象を与えることが多いが、創始者のアルベルトはケロのシャーマニズムだけでなく、シピボ族などアマゾンのシャーマニズム(インカではない)も使ってムナイ・キを構成している。

 この三つの「ムナイ・キ」が混同され、本来の意図が見えにくくなっているのが現状だ。アメリカなどで着物などの日本文化を魔改造したようなブランドができたとき、多くの日本人は薄らとイヤな気持ちになるだろう。西洋諸国では「文化の盗用、歪曲」と言われるようなことが、スピリチュアルの世界で起きているのを2013年からリアルタイムで見てきた。そして、今ならそれが「精霊との関係性」を何よりも大切にするアンデスの在り方と真逆の行為だと言える。

 よく考えてみてほしい。「3万年前から伝わる秘儀」が「2日で全ての儀式を伝授」できるようなものなら、人類はもっといい感じになっているのではないだろうか。しかもそれを「伝授」しているのが、その「秘儀」とやらを伝えられてきたライカの人々でないのはなぜなのか。「伝授」とはエネルギーを再現して・呼び出して渡すものなのに、エネルギーを解釈できなければただの構成された手順でしかないだろう。

 最後に。私がこの記事を書いたのは、ムナイ・キを広めることを否定するためではない。むしろ、愛を持ってそれを伝えたいと願った人たちにこそ、真実とその哲学、そして論理を腑に落として「種を植えて」ほしいと思ったのだ。時間と誠意をかけて種を育てなければ、その果実を手に入れることはできない。それは祈りを深め続け、スピリットとの関係性を実らせる道だ。

 Munakuyki.

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