
霊的正統性が生む支配の系譜(1) ヘロデ王の恐怖とベツレヘムの赤ん坊
イエス・キリストが生まれたのは、現在のパレスチナ地方、ローマ帝国の属州として支配されていたユダヤだ。紀元前4年頃のユダヤで王として君臨していた王ヘロデは、ローマを後ろ盾として権力を維持していた。彼の王権は政治的にも霊的にも借り物だったと言える。ヘロデは「ユダヤ人の王」という立場ではあれど、血筋も信仰も中途半端だったと言わざるを得ない。純粋なダビデ家の後継ではなくイドマヤ系の出身だったヘロデには、「神に選ばれた王」という称号は絶対的に必要なものだった。民を統治する王としての正統性を保証するための唯一の鎧だったからだ。
こうした背景からすれば、「ユダヤ人の王が生まれた」という東方からの賢者の預言はヘロデにとって脅威そのものだっただろう。「神の名による王」にとって、神が新しい王を遣わしたという知らせは存在を根本から否定するものだった。そしてその恐怖は「幼児虐殺」という極端な命令となった。マタイ福音書に書かれたこの物語は史実として確認されてはいないが、象徴としてはわかりやすいものだ。権力が霊的な正統性を失うとき、暴力が発動する。
霊的な正統性とは、見えない存在であるはずの神を根拠に自らを正しいとする形式だ。信仰や使命という形だとしても、本質的には支配の一形式でしかない。政治的正統性は議論や根拠で争えるが、霊的正統性は検証できない。だからこそ危険な支配装置となるのだ。ヘロデはまさにその象徴となった。「神が私を選んだ」という思い込みが権力欲と結びつき、赤ん坊という無垢な生命を犠牲にするよう命じる。神からの承認を自負する者が、自ら神から遠ざかるという逆説が起きている。
イエスという存在は反乱の象徴として考えることができるだろう。彼が生まれた場所は馬小屋-霊的正統性からは距離のある、権威の庇護を受けない場所から“神の子”が生まれた。ヘロデ的秩序の外側から、別の意識の層が現れたということになる。
ヘロデが「恐怖の秩序」だとしたら、イエスが人々に伝えたのは「内なる秩序」だ。前者は神を所有しようとし、後者は神を分かち合おうとした。これと同じ構造の対立は二千年を経た今でも続いている。イスラエルとパレスチナの衝突がまさにそれだ。根本には「誰が神の約束を継いでいるか」という霊的正統性を証明したいという理由がある。国家が神と一体化して宗教がある土地を支配するという仕組みは、ヘロデ以来脈々と続いてきたマトリックスだと言えるだろう。
霊的正統性を口にした瞬間、人間は神の代理人になる。そしてその瞬間に神を失う。「正しい」という思考の働き自体が「神を閉じ込める檻」でしかないからだ。霊的に成熟していくとき、人は自らの正統性を放棄していく。「私は選ばれた人間である」という確信を手放さなければ、人は他者を神の光の下に見ることができないのだ。イエスが説いた神の国はこの状態、意識の分かち合いができた状態を指す。
ヘロデが恐れたのは自らの権力の崩壊以上のもの…支配という概念そのものと支配構造の終焉だ。イエスが生まれた意味がここにある。暴力で守られ崇拝される神から、人間と共鳴する神へ。正統性のために戦う人間の歴史の中で、イエスの存在は「正統性を超える意識」の始まりを意味するものだった。

