Three apparations of the visage of Gala by Salvador Dali

「私を殺して」と言った女 サルバドール・ダリとガラ・エリュアール 増補版

プボル城 招待されなければ入れない

 1968年、ダリはガラのためにプボル城と呼ばれる中世の城を買った。修復して天井にトロンプ・ルイユ(だまし絵)を描いたのは、「目を上げたときにいつでも私が空にいるように」という意図だ。だが、二人の間には「ガラの手紙による招待がなければダリは城に入れない」という決まりがあった。

 70代のガラは、城で若い愛人たちと過ごした。中でも『ジーザス・クライスト・スーパースター』でイエスを演じた俳優ジェフ・フェンホルトとの関係が有名だ。彼女は若い男たちに、ダリの絵を売った金で買った高価な贈り物を与えた。

 このような状態でダリは嫉妬しなかったのか?いや、おそらくダリは嫉妬していた。だが現実でガラを支配することを諦めていた。彼女を「自分の神話の構成要素」にしてしまうことで-二人の関係は絵画を通じて維持できていたのだろう。

崩壊

 1982年初頭、ガラは浴室で転倒して入院する。ダリは彼女が病気だという現実を受け入れることを拒んだ。衰弱した状態で自宅に戻された彼女は、6月10日に87歳で息を引き取った。

 ガラを失ったダリはプボル城に閉じこもる。カーテンを閉め、一切の飲食を拒否した。友人たちの訪問を断り、周囲の全員にガラの名前を口にしないよう命じた。

 「私はもう現実を通過できない」

 2年後の1984年、ダリの寝室で火災が発生。重度の火傷を負って病院に運ばれたダリは、深刻な栄養失調になっていた。彼はガラのいない世界に生きる意味を見失っていた。1989年1月23日、フィゲーラスの自宅で心不全のため死去、84歳だった。ガラの死から7年後のことだ。

回路が閉じるとき

 ダリとガラは、50年以上にわたって「一つの存在」であろうとした。これは通常の意味での愛ではなかったかもしれない。性的な結びつきはほとんどなく、互いに不倫を重ね、別々に暮らした晩年にはめったに会うことすらなかった。ダリにとってガラは「私の世界の女神」「霊の入口」と呼んだが、それは人間としてのガラ、自分の芸術を成立させるための装置としてのガラのどちらだったのだろうか。

 おそらく両方だ。ガラは向こう側には行かず、ただそこに「在った」。彼女の沈黙が、ダリによって世界が再構成される瞬間を生み出していた。ダリはその沈黙の中に霊的な存在が去来する残響を聴いていた。そして彼女が死んだとき、その回路は閉じた。装置は動力源を失い、ダリという存在もその機能を終えた。

芸術と恋愛は両立するか

 ダリとガラの関係はあまりにも極端で、理想の形とは言い難いだろう。だが表現の世界に身を置く者にとって、二人の関係性は一つの視点を与えてくれる。

 アーティストが「恋愛と創作の間で悩む」というのはよくある話だ。「創作に集中するために恋愛を犠牲にすべきか」「パートナーとの時間が創作を妨げているのではないか」…そんな悩みはイメージ通りの芸術家だけでなく、将棋の棋士が結婚した際にも「創作」を「研究」という言葉に置き換えて語られたりする。何かに没頭する人間にとって、他者の存在は自分の世界を脅かすもののように感じてしまうのかもしれない。

 だが、ダリとガラはその二項対立を鮮やかに超えてみせた。二人は恋愛を創作の外側に置かなかった。ダリはガラを自身の宇宙の「ゲート」として創作プロセスそのものに組み込み、署名さえ一つに融合させたのだ。恋愛と創作が融合していれば、そこにはどちらかを選ばなければならないという不自由な選択肢は最初から存在しない。それどころか愛が新たな現実を召喚する動力となったのだ。

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