【人間失格】太宰治の実家、豪邸を超えて重要文化財だった
「人間失格」や「走れメロス」で知られる太宰治。その文学的才能もさることながら、彼の生家がただの豪邸ではなく、重要文化財だったことをご存知だろうか。
名家・津島家と太宰治の生家「斜陽館」
太宰の父・津島源右衛門は、衆議院議員も務めた津軽地方屈指の大地主。1907年(明治40年)、彼によって建てられた家は、青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市金木町)にあり、まさに豪邸そのものだった。
しかし、太宰自身はこの家に長くは住まなかった。中学進学のため青森市へ、さらに東京へと移り住み、文学の道へと進んでいった。若いときあるあるで共産党の非合法活動に関与したり、心中未遂を繰り返したことで実家から勘当される(当たり前田のキャプチュード)許しを得て戻ったのは1942年(昭和17年)、母・タネの死後だった。
旅館「斜陽館」から記念館へ
太宰の死後、1950年に津島家はこの家を売却。その後、旅館業者が買い取り、「太宰治文学記念館」を併設した旅館「斜陽館」として営業を開始した。名前はもちろん、太宰の代表作『斜陽』に由来する。太宰ファンが全国から訪れ、喫茶店も併設されるなど、文化的な観光スポットとなった。
1998年には「太宰治記念館 斜陽館」として改装オープンし、今では太宰の文学資料や津島家の貴重な資料を展示する文化施設として、多くの観光客を迎えている。
文学と文化の融合
興味深いのは、太宰自身がこの生家を引き継ぐことなく、文学の世界に身を投じたことだ。津島家の跡継ぎとしての道ではなく、表現者としての道を選び、その作品は今も多くの人々に読まれ続けている。スカスカの議員になることを選ばないのはいさぎよし!そして、彼の生家は旅館から記念館へと変遷を遂げ、結果的に「文化」として後世に残されることとなった。
ちなみに、現在「斜陽館」の目の前には『産直メロス』という物産展があり、その絶妙なネーミングセンスに思わずクスっとさせられる。太宰治の文学的遺産が、意外な形で現代にも息づいている、産直メロスはラーメンがうまいのは覚えていてほしい!