非常階段

誰かを待つ階段

 子供の頃に住んでいたマンションには、古い非常階段があった。西棟の端にある階段は一階から五階までをぐるぐると繋いでいて、周りを囲った金網のような覆いのせいで晴れた日でも薄暗い。風が吹くとその金網は揺れて音を鳴らす。金属が震えるような、誰かが息を吸うみたいな音。私はその音が嫌いで、あまり階段には近寄らないようにしていた。

 今よりずっと子供たちが外で遊んでいた時代、マンションの子たちはみんな一緒になって走り回っていた。鬼ごっこをしていて不用意に階段のそばに来たとき、上の方で”カタッ”と踊り場のスチールドアが鳴っているのが聞こえた。軽い金属音。風で揺れたような、乾いた音。近くには私とアヤしかいない。アヤは私の袖をつかんで「あそこ、いる」と言った。アヤの視線の先を見上げると、薄い金網がゆっくり押されて戻るようにペコッと膨らんで元に戻った。風は吹いていない。ほかの友達の姿は見えない。空気が止まっている中で、階段のドアだけが生き物のように見えた。

 数日後、夏祭りの帰りにまたそこで足が止まった。浴衣を着ていたアヤのサンダルが脱げかけて、二人とも手にしたわたあめがべとついていた。一階から非常階段を見上げたけれど、薄暗い金網の上まではよく見えない。ただ、その日聞こえた音は前と違った。”カタッ”じゃなくて、”ドン”という重い音。誰かが上の方の踊り場を踏み抜くような勢いのある音。アヤは急に泣きそうになって「降りてくる」と言った。私には見えなかった。でもアヤはいつも、他の子が気づかない気配を拾う子だった。

 階段の影の奥で、鉄の手すりが少しだけ揺れた。揺れの向きが変だった。上から下じゃない。横から押されたみたいに、あり得ない方向に曲がる瞬間があった。アヤは「ここじゃない」と呟いて、私の手を強く握った。それが合図みたいに、また”ドン”が一度だけ鳴って、静かになった。私たちが気づいたから、もういいとでも言うように。

 その頃、西棟では変な噂が流れていた。三階に住んでいた男の子が非常階段で転んで大怪我をしたらしい、とか、その子の母親が管理人室の前で泣きながら謝っていた、とか。三階から五階までの廊下に乾ききっていない水拭きの跡が残っていたこともある。誰がやったのかは誰もわからない。けれど、非常階段の前で途切れた跡は階段の内側に続いているように見えた。

 非常階段では昔、本当に事故があったらしい。私たちが生まれるずっと前、まだマンションが新しかった頃。詳しいことは教えてくれなかったけれど、母親が「あの階段で子供が亡くなったことがある」とぽつりと言ったのを覚えている。それ以上は何も聞けなかった。アヤはあの水拭きの跡を見て「ここから先は、もう人が歩いてない」と言った。

 夏が終わる頃、団地の自治会が「西棟非常階段の安全点検について」という紙を各戸に配った。工事の人が来たのはちょうどアヤの引っ越しの日で、私たちは最後にもう一度通路から階段を覗いた。手すりは既に外されていて、階段そのものが浮いて見えた。作業員の一人が、下の方を指差しながら同僚に何か言っていた。

 私たちには声は聞こえなかったけれど、アヤが「分かった」と呟いた。「何が?」「あの子、ずっと探してたんだ。一緒に降りてくれる人を」…アヤは階段をじっと見つめたまま続けた。「一人で降りるのが怖かったんだよ。あの時も、きっと。だから誰かが来るたびに、もう一度一緒に降りようとする。でも、みんな途中で気づいて逃げちゃうから」

 三階の男の子も、きっと逃げたんだと思う。途中まで引っ張られて、気づいて、逃げた。

 作業員たちが帰ったあと、階段は金網ごと撤去された。三階の男の子は結局歩けなくなったらしい。一緒に降りることを拒んだ代償なのかもしれない。転んだだけなのになぜか足が動かなくなって、医者も首を傾げていたという。

 それから二十年以上たって、団地は取り壊されて跡地は駐車場になった。私はもう思い出すこともなかったけど、去年の夏、久しぶりにその場所を通った。コンクリの地面に白線が引かれて、非常階段があった辺りだけ、地面がわずかに沈んでいた。排水溝の蓋が置かれているのに、そこだけ”空気の重さ”が違っていた。

 耳を澄ますと、車の音に混じって微かに”カタッ”という金属の揺れが聞こえた気がした。風はなかった。ドアを開けて待っている音。誰かが待っている。誰かが降りてくるのを、今もまだ。

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