バー・オシリス

前世という魂の欠片

 今地球で生きている人たちを「地球と人間のアセンションを体験するためにやってきた」と言うスピリチュアリストは多い。スピリチュアルにどこまで含めていいのかわからないが、インカ系のシャーマンが守ってきた古代の預言は「古い人類が終わり、新しい人類が生まれる」だったりもする。目に見える形でUFOを呼んだりという、いわゆるコンタクトができる人は思っている以上に多いはずだ。

 スピリチュアルや目に見えない世界は「怪しい」「普通じゃない」という扱いを受けている間に、宇宙論や物理学的な要素を広く含んだ「体験できるもの」に変化してきた。20年以上片っ端からスピリチュアルのクラスに出てみたが、例えば15年前と今現在のリーディングのレベルは全く違う。「観えている気がする」ではなく「観えるのが当たり前」という感覚的な視野を持つ人は増えた。

 感覚的な視野を獲得するには、「気づき」と呼ばれる「小さな違和感に反応できる状態」を作る必要がある。私は肉体に収まった自分で、相手から見た対象としての自分で、その二者を映画を見ているように他人事として見ている第三者で…。「自分」「相手」「観察者」を認識し始めると、状況に応じた「誰か」を認識できるようになり、結果的にいろいろなことに気づくようになっていく。

 その過程で役に立つのが「欠片を拾い集めること」だ。過去の時間の中に置いてきた欠片を今現在の「自分」の中に取り戻すことで傷はより癒され、より強いエネルギーを使えるようになるからだ。そして、その作業を繰り返す中で「過去と現在」という時空が曖昧になり、見えない世界だからと言ってなくなったわけではないことが体感として理解できるようになる。

 かつてスピリチュアルの本では「前世を思い出した」話が書かれていたりして、自分は誰それだったとかこんなことをしていたという話はよく見聞きしていた。だが、実際に体験したそれは思った以上に衝撃的なものだった。アクテンアテンの打ち捨てられた都・テル=エル=アマルナはコースに含まれていて、人があまり行かない場所だから楽しみだと思っていただけだったのに。

 街に入ったあたりから胸がムズムズし始めて、ステラの階段を登ろうとしたら感情とは全く別に涙が激流みたいに流れた。泣きながらステラに登ってナイルの方に広がる街を見下ろしたとき、当時の自分と重なった感覚があった。私の女性性はここで数千年もの間凍りついていて、現世も前世も男性性の領域で「ひたすら働く」しか選べなかった。当時の記憶が戻ってきたので、歴史書などで言われていることに反発するようにもなった。

 女性性をそこに埋めていたことがわかり、「お腹の中に忘れてきたから取りに戻って男の子になりたい」と思っていた三歳の頃を思い出した。アマルナのガーディアンの一人と抱き合ってお互いここにいた人間だと確認したとき、時間の流れなど大して関係ないのかもしれないなと思った。私たちはここで生きて、死んで、またこうして出会っているのだから。

 肉体に収まった「自分」ではなく、おそらく人が魂と呼ぶような領域を「自分」だと感じるようになると、死ぬことはそれほど重大なことではなくなる。死は怖いものではなく、魂の区切りのようなものだ。

 でも、私たちは実際肉体に収まって今現在の名前の人間として生きている。その人間が魂の大きさに近づいて生きるために(=可能性の全てを実現できる状態に近づいていきるために)、魂がいろいろなところに埋めたり捨てたりしてしまっていたとんでもなく深い傷を、今現在のあなたが癒すのだ。前世は今の自分にとっては一定の距離を取って眺めることができる、過去という次空にあるものだ。逆に言えば、前世に呑み込まれて影響を受け続けている状態では、また来世に問題を先送りするだけだ。

 さらに言えば、魂はこうして欠片に分かれる性質を持つので、例えばマリー・アントワネットの記憶を持つ人が同時に100万人いたとしてもおかしくはない。歴史上の人物や有名人が前世だからと言って特に何だというものではなく、その面にフォーカスするとしたらエゴが強く働いている状態だろう。 

 前世は、それを理解して使えばとても役に立つ。私は女性性を取り戻したことで、自分の中の男性性・女性性のバランスが取れたので恋愛を必要としなくなった。必要に迫られてではなく「私が楽しいから」パートナーと一緒にいると選択できるのだ。古今東西「聖なる結婚」は他者を対象としていない。例えば信心深いファラオが王妃と一緒にいるのは、祭祀上の理由や社会背景もあるのかもしれないが、最大の理由は「いたいから」だったはずだ。

 欠片を取り戻す方法は こちら にあるので、ぜひ試してみてほしい。

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