配給の列
CC BY 高岡市立博物館蔵
祖母の家を片付けていると、古い木箱の中に古い手帳を見つけた。昭和十九年発行の配給手帳には祖母の旧姓が書いてあった。米や砂糖、味噌などの項目に判が押されていたので、ちゃんと配給を受けていたのだろう。最後のページだけが空白になっている。
「おばあちゃん、配給とか受けてたんだね」と言うと、母はそうね、と言って「戦争の話はあまりしたがらなかったから」と言った。
祖母は五年前に亡くなっている。認知症が進んでからも戦時中の記憶は鮮明に残っていたらしい。母が言うには、夜中に「配給所」とぶつぶつ繰り返したり、誰もいない廊下に向かって「順番が来ない」と呟いたりしていたという。だが、昼間の落ち着いている時間には戦争の話をしたことはなかった。母が何か質問しても祖母は何も答えなかった―まるで、話してはいけないことがあるみたいに。
古い家の縁側に座る。近々取り壊されることが決まっている家には、まだ祖母が暮らしていた頃の空気が残っている。背の高い庭の柿の木が夏の日差しを遮り、風が吹くと涼しい影が畳の上を滑る。ふと目を横に向けたとき、縁側の柱に小さな傷があるのに気づいた。釘で引っ掻いたような浅い線が三本。子供がつけるにしても低い位置、大人の膝くらいの高さにある。私たち孫世代の仕業だろうか。
夕方が近づき、近所の古い商店街を母と歩く。シャッターが降りている店が増え、昔ながらの店は八百屋くらいしか残っていない。商店街の途中で、母が「ここらへんが配給所だったみたいよ」と教えてくれた。今はコインランドリーになっている辺りだ。
「子供だったおばあちゃんが並んでたんだね」
「そうね」
母の言葉が途切れた。視線の先で一人の老人が立っていた。背中を丸めて入り口を見つめている。私たちが近づいても、老人は微動だにしなかった。「どうかされましたか?」 母が声をかける。どこか焦点が合っていない目で、老人はこちらを見た。
「ここは…配給所ですよね」 老人の声は掠れている。「いえ…今はコインランドリーです」と答えると、老人は首を捻って言った。「そうですか。でも、みんな並んでるから…」
思わず母と顔を見合わせる。コインランドリーに並んでいる人はいない。老人はまた入り口を見つめて呟いた。「順番が来ないんですよ。ずっと待ってるのに」…。母が「どちらにお住まいですか?ご家族に連絡しましょうか」と言ったが、老人は首を横に振った。そして「もう帰ります。また明日、来ますから」と言い残し、ゆっくりと去っていった。
その日の夜、母は祖母の日記を引っ張り出して読んでいた。配給手帳が出てきたことで何か思い出したらしい。やがて母は「ちょっと、これ見て」と私を呼んだ。
日記には昭和十九年の秋から冬にかけての日付があった。配給の列に並んだこと、寒さで手がかじかんだこと。母が日記の一部を指さす。「おじいさんが配給所の前で倒れた。順番を守るのに必死で、誰も助けなかった。私も何もできなかった。あのおじいさんはどうなったのだろう」。何日か後の日記にはこう書かれていた。「あの人はまだあそこにいる気がする。目を閉じるとあの光景が浮かんでくる。倒れたおじいさんの横を、みんな無言で通り過ぎていく。私もその中の一人だった」。母は震える手で日記を閉じた。「お母さん、ずっと気にしてたのね…」。
翌日、もう一度商店街に行ったが、コインランドリーの前には誰もいなかった。昨日は気づかなかったが、入り口の横には古い石が置かれていて花と水が供えられていた。片付けを終えて帰る日、もう一度縁側の傷を見た。三本の線は、子供がつけたものではなかったのだろう。爪で引っ掻いたような、浅いけれど執拗な跡。
柿の木の下で配給手帳をもう一度開く。最後のページは一部だけ破れていた。そこに何が書かれていたのか、もう知ることはできない。あのおじいさんはこの家と祖母に何を求めていたのだろう。祖母は最後まで配給所の出来事を忘れず、忘れられなかった相手は居間でも順番を待ち続けている…。