遠くて近い場所 アルフレッド・スティーグリッツとジョージア・オキーフ
境界の芸術家たちシリーズ
雲だけを撮った男
アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)はある日、カメラを空に向けた。地平線も景色も入れず、ただ雲だけを撮る。ある批評家に「あなたの写真の成功は被写体のおかげだ」と言われたのがきっかけだった。特別な建物でも有名な人物でもなく、誰でも見ることができる雲だけを撮ることで「被写体とは関係なく写真そのものが表現になる」と証明しようとしたのだ。彼はこのシリーズを「等価物」と呼んだ。「雲の写真は私の深い人生における経験と等しく、私の根本的な人生哲学の等価物だ」と。
内面の状態を外にあるものを通して表現する。これは抽象芸術の説明に使われることが多いが、さらに古い言葉で言えば「照応」という思想だ。外界は内界を映す鏡で、内界は外界に投影される。ヘルメス主義の「上なるものは下なるものの如し、下なるものは上なるものの如し」。スティーグリッツはそれ以前に、抽象絵画の先駆者とも言えるロシアの画家カンディンスキーの『芸術における精神的なもの』の抜粋を自身の雑誌『カメラ・ワーク』に掲載している。カンディンスキーはそこで「色彩や形態や線は、魂の内なる振動を反映する」と書いた。スティーグリッツの「等価物」は、この思想を写真でやろうとしたものだった。
雲には固有の形がない。絶えず変化し、消えていく。だからこそ撮影者の内面を映すことができる。モノクロのグラデーションを見ているうちに、雲が雲でなくなり、自分の内側にある何かが浮かんでくる。
ウィスコンシンの酪農家の娘
ジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe)はウィスコンシンの酪農家の娘で、ニューヨークの前衛芸術サロンとは縁遠い育ちだ。彼女はテキサスの小さな大学で美術を教えていたが、友人がオキーフのデッサンを何枚かニューヨークに持っていき、スティーグリッツに見せた。スティーグリッツはすでにニューヨーク美術界で影響力があり、マンハッタン5番街の小さなギャラリーでマティス、ロダン、ピカソ、セザンヌなどの画家を扱っていた。
スティーグリッツはオキーフのデッサンを見て「ついに女性が紙の上で正直になった」と言い、本人の許可を取らずに展示した。それを知ったオキーフはニューヨークにやって来たが、展示を下ろせとは言わなかった。このときスティーグリッツ52歳、オキーフは28歳。二人の手紙のやり取りが始まる。「あなたのことがすごく好きになって、ときどき怖くなる」とオキーフはテキサスから書いた。「自分のことをこんなに話した相手はいなかった。ここまで話してしまったら、あなたを欲しくならないわけがない」。
スティーグリッツの返事は別の調子だった。「あなたを撮りたくてたまらなかった。手を、口を、目を、黒い服に包まれた身体を、白い肌を、喉を」。彼は最初の妻エメリンとまだ結婚していた。
300枚のポートレート
オキーフがニューヨークに引っ越すと、二人はすぐ一緒に暮らし始めた。スティーグリッツはオキーフを撮り始め、最終的に300枚近いポートレートを残している。手のクローズアップ、肌の質感のマクロ、全身のヌード。妻エメリンが買い物に行っている間にスティーグリッツの自宅で撮影したこともあった。帰宅して二人を見つけたエメリンは激怒したという。
スティーグリッツはそのヌード写真を展覧会に出し、オキーフの花の絵と並べて展示された。批評家たちは花の中に性的なイメージを読み取ったが、彼はそれを否定しなかった。一方のオキーフは生涯それを否定し続けた。「私が花を大きく描いたのは、みんなが花をちゃんと見ないからだ。小さいから通り過ぎてしまう。だから大きく描いた」。
花の絵も骨の絵も、制作に際しての思想は同じだ。対象を拡大して余計な要素を入れず、見せたい対象そのものだけを見せる。すると見る側の中に対象とは別の何かが浮かび上がり、花は花でなく骨は骨でなくなる。オキーフは自分の人生を描いてきたのだと言った。
砂漠で骨を集めた女
スティーグリッツの離婚が成立すると二人は結婚した。オキーフはその必要を感じておらず、スティーグリッツが望んだ結婚だった。オキーフは自分の姓を変えなかったが、夏になるとレイク・ジョージの別荘でスティーグリッツ一族と過ごさなければならなかった。制作時間が侵食されていくと、オキーフは次第に息苦しくなっていく。子供をほしがったオキーフだったが、スティーグリッツはそれを拒み、やがて若い写真家ドロシー・ノーマンと関係を持ち始めた。
オキーフはニューメキシコに行った。赤い崖と乾いた空気、広い空。彼女はこの土地を「ファラウェイ、遠くにあるもの」と呼んだ。彼女は砂漠で骨を集め始める。牛の頭蓋骨、鹿の角、太陽に漂白された骨片。「私にとって骨は死を象徴するものではない。それは形、私が楽しむ形だ。歩き回っている動物、毛も目も尻尾もある動物より、ずっと生き生きしている」と彼女は言った。
肉や皮が消え、骨だけが残る。そこに現れるのは「かつてそこに生命があった」という痕跡だ。ある批評家はオキーフの骨の絵を「神秘的リアリズム」と呼んだ。一般的な風景画は前景、中景、背景で構成されるがオキーフの絵には中景がなく、遠くにあるはずの山が画面いっぱいに迫り頭蓋骨が砂漠の上に浮かんでいる。遠くにあるものと近くにあるものが直接繋がる感覚を彼女は「ファラウェイ・ニアバイ、遠くて近い場所」と呼んだ。
5000通の手紙
オキーフがニューメキシコに行ったまま帰ってこないのではないかと、スティーグリッツは怯えた。65歳になっていた彼は「私は壊れた」と書いた。だがオキーフは「私の中にはたくさんの生命がある。それがあなたに向かって動こうとして、いつも止められていた。私は何かに向かって動けなければ死んでしまうと気づいて、ここに来ることを選んだ。ここにいると気分がよくて、内面がまっすぐに伸びていくのを感じる。あなたはそんな私を愛さないかもしれない。でも私からすれば、あなたのためにできる最善のことだと思う」と返した。
彼女はスティーグリッツの不倫についても書き、「あなたが人前で私ではない誰かへの愛を示して歩き回るのを受け入れる気は一瞬もない。人が何を感じるかはコントロールできなくても、それを公衆の前で見せるかどうかはコントロールできるはずだ」と詰めたが二人は別れていない。30年間で5000通、25000ページにも及ぶ手紙で繋がっていた。スティーグリッツはオキーフを「遠くにいる者」「私の遠くて近い白い者」と呼んだ。近くにいると見えなかったことが、距離があることで見えるようになった。
オキーフはゴースト・ランチに土地を買い、セロ・ペデルナルという平らな頂の山を30回近く描いた。「あの山は私の山だ。充分に描いたらあげると神様が言った」のだという。
水のそばに、空のそばに
スティーグリッツは82歳で亡くなり、オキーフは遺灰をレイク・ジョージに撒いた。「彼が水の音を聞ける場所に」。98歳で亡くなったオキーフの遺灰は、彼女が愛したセロ・ペデルナルの頂上に撒かれた。
スティーグリッツは水のそばに、オキーフは空のそばに。水は蒸発して雲になり、雲は雨になって大地に降る。スティーグリッツは雲を撮りながら自らの内面を、オキーフは骨を描きながら生と死の境界を見ていた。二人はそれぞれ見えるものを通して見えないものを見ようとしていた。