
『古代エジプトとバビロニアの信仰』第一章 イントロダクション 1-1
※著作権の切れた書籍を翻訳・意訳して掲載しています。『The Religions of Ancient Egypt and Babylonia』Archibald Henry Sayce 翻訳した文章©StellaCircus
講義1 イントロダクション
ギフォード卿の遺贈を受けた際の条件ではありましたが、この大学での講義はかなりためらいながら引き受けました。なにしろ主題が広範かつ包括的ですし、説明するのは困難だらけです。講義の元になる資料はほとんどが記念碑的なもので、彫刻や絵画、死者とともに埋葬された物や寺院の遺跡で発見された物、そして何より、ほんの一世紀前にはまったく知られていなかった言語や文字で書かれた文章で構成されています。そういった資料がいかに破損した断片的なものかは指摘するまでもありません。現在私たちの手の中にあるエジプトやバビロニアの文書は、かつて存在した、あるいはこれから発見される文書のほんの一部に過ぎません。
バビロニアの文書に関しては、ヨーロッパやアメリカの博物館に収蔵されているものの多くはまだ解読されておらず、それらを徹底的に調査するには何年もの労力がかかります。また、コピーされ翻訳されたものには大きな欠陥があります。宗教や歴史の問題に光を当てそうなところ、あるいは意味を理解するためにもう少し言葉が必要なところで、文書が壊れていることも珍しくないのです。あるいは長いシリーズの中でたった一つの文書だけが残っていることもあります。まるで本の一章のように残ったこの文書によって、私たちは著者の意図や作品の目的について間違った考えを抱くことになります。私たちは皆、文脈から切り離して文章を説明することがいかに危険か、その結果どれほど間違った結論につながるかもしれないのか知っています。
しかし、過去の宗教を研究するなら、こういった不安定な資料を扱わなければなりません。ギリシャ・ローマ文明の時代には、バビロニアとエジプトの古代宗教は衰退し、その基礎となった概念は変化したり忘れられたりしていました。残されていたのは、空虚で意味不明な抜け殻や単なる戯画に過ぎなかったのです。アッシリアの王たちが征服に赴き、ネブカドネザルがバビロンの神殿や宮殿で祀った神々は、魔術体系の守護神に堕落していました。かつて東方の王を作ったり滅ぼしたりした神官たちは「カルデア」の占い師となり、バビロニアの宗教と科学で記憶されていたのは占星術とのつながりだけでした。
エジプトではそれほど変化がない状態で古い伝統が生き残りましたが、それでも宗教的信仰と教えの継続性は実際よりも外側だけのもので、内面はそこまで残っていませんでした。プトレマイオス朝と初期のローマ皇帝は古い教えに従って神殿を再建しました。彼らはファラオの衣装を着て、名前さえ発音できない神々に供物を捧げる姿が絵に残されています。しかしすべては見せかけだけのもので、言ってみれば単なる衣装で着飾っただけ-精神と生命がすべて失われた宗教の真似事のように感じられます。
エジプトでもバビロニアでも、発掘者が土から発掘し、解読者が莫大な労力と忍耐でつなぎ合わせた記念碑的な文書に立ち返らなければなりません。記録の不完全さと向き合うと、物語からどれだけ多くを読み取る必要があるか、証拠がいかに乏しいか、どれほど事実がばらばらであるかを思い知らされます。私たちが導く結論は理論的でなければなりませんが、新しい資料と既存の資料をより巧みに組み合わせることで修正や変更が加えられ、暫定的なものになる可能性があります。私たちは現在という光の中で過去を解釈し、今日を生きる人間の、いわば現代の常識から彼らの信念を説明しなければなりません。
こうした試みがどれほど危ういかは言うまでもないでしょう。ある民族の信仰の本質を見極めようとしたら、たとえ現代の宗教であっても難しいのです。外から見た特徴は説明できますが、それですら論争の的となることがあります。ましてや本質的な宗教的思想は、はるかに理解しづらく定義するのは困難です。個人が抱く宗教的信念を哲学的・科学的な正確性をもって述べるのは容易ではありません。他人が何を信じているか知るのも難しいでしょうが、自分自身が信じているものを正確に知ることも、時には同じくらい難しいのです。
私たちの宗教的思想や信念は過去から受け継がれた遺産です。それらは私たちの経験、教育、その時代の知識や傾向によって影響を受け、修正されてきました。それらの信念をまとめて調和を取ったり、矛盾を解決したり、一貫した体系に当てはめたりされたことはほぼありません。おそらく野蛮な時代にまで遡る信念は、物理科学の最新の発見から生まれた信念と並んで、ほとんど変化なく存在しています。私たちの精神世界の概念は、宇宙が地球表面という小さな領域上の空でしかなかった時代の名残と、天文学が与えてくれた無限の空間と無数の世界という概念が雑然と混ざり合ったものであることも少なくありません。
我々の周囲に今も生きている宗教ですら理解するのは難しいのに、それ以前の宗教を理解、描写するのはどれほど難しいことでしょう。我々が信仰する特定の宗教形態の歴史は誤解されてきました。初期キリスト教の本当の歴史が発見され記述されつつある、もしくは宗教改革の根底にあった動機と原則が正しく理解されつつあるのは最近になってからのことです。初期の段階の宗教史は、後の世代にとっては理解不能になっていきます。もし理解したければ、記録が具体的に書いてある資料だけでなく、過去に遡り、先祖たちの世界を見て、その信仰をしばらく共有したような目と共感が必要です。それができて初めて古代宗教が本当は何を意味していたのか、その内なる本質と外形を理解できるでしょう。

