僧侶

高橋ハナの「いといみじ」 お寺とケンカをした話

 母親が亡くなり、家から斎場に向かうために棺を運んでいた時のことだ。バタバタしている中、滅多に鳴ることのない電話が鳴った。祖父母のお墓がある寺の奥さんだった。

「すみません、今葬儀屋さんが来ていて、棺を運ぶところで…」

 そう言った私に構わず、相手は自分の言いたいことをまくし立て始める。お戒名はどうされます?いつこちらにいらっしゃいます?…祖母はさんざん「私の代までしかできない」と何度も伝え、その上で百万以上もする袈裟やら壁に描かれた仏画の修繕費用やらを渡してきた。だがそんな祖母の言葉などなかったかのように、その人はこう言った。

「うちのお戒名料は〇十万円からです。おじいちゃまとおばあちゃまにいいお戒名をつけたので、格を揃えていただかないと…ねえ」

 威張れることじゃないけど、こちとら子供の頃からいわゆる幽霊が見えていて、ここ十年以上は亡くなった人と話したり上げたりを仕事でしてきた人間だ。死後の世界も「経験して」いて、なんとか教の儀式を行わなくても人がそっちに「移動する」ことも知っていれば、亡くなったばかりの母とも話せている。何言ってんのこのおばさん?遠回しにじとーっとお金を要求する祖母への電話は隣で聞いてきたけど、ついに金額を口にするまで卑しくなったか!頭に血が上った私は言った。

「お宅の宗派ではいいお戒名と悪いお戒名があるんですか」
「そういうわけじゃありませんけど、やっぱり立派なお戒名を…」
「浄土宗ではいいお戒名をつけないと成仏できないとかあるんですかね」
「いや、成仏はできますけど、やっぱりいいお戒名が…」
「そもそも今忙しいって言ってるのに、無視してまくしたてるって何なんですか」
「…わかりました、もう結構です」

 電話を文字通り叩き切る。「いい」戒名ってなんだ。そもそも、静かに故人を送る邪魔をする寺って何なんだ。ちなみに来るなと言ったのに住職とその息子は火葬場にやってきた。肩身が狭そうな息子を一人置いて住職はさっさと帰ったが、なぜ来たのか。葬儀は真言宗の僧侶(修行して阿闍梨になった)でもあるツレがしてくれた。彼のことが好きだった亡母本人もその方がいいって言ったし。

 霊的な領域を扱う人間が、目に見えない世界を脅しの道具にしていいはずがない。少なくとも私はそんなことをしてきていないと胸を張って言う。僧侶なら仏教哲学を学び、「まず自分が悟らなければ(自利)他人を救えない(利他)」を体現するのが前提だ。維持が難しいほど檀家が減ったのはなぜか、考えればいいのにと思う。息子さん、母親のこと困ってるって言ってましたよ。とはいえ、彼も母親を放置しているなら檀家にとっては同じだ。

 イスラエルとパレスチナで顕著なように、どんな宗教でもスピリチュアルでも誰かの救いは誰かの不幸になり得る。経験したことのない霊的な世界について、言葉だけで「こういうものだ」と説得する…見えない世界を自分にとって都合よく使う人間は、果たして「宗教者」や「スピリチュアリスト」なんだろうか。

 ヒーラーやスピ教師、神仏を盲信して自分の外側に特別な力があると思い込むのは、自分の人生を他者に明け渡すに等しい。最近「メタフィジックス(形而上学)」という単語をスピリチュアルの上位互換的に使う風潮があるけど、「自分とは何か」を突き詰める哲学なのにピラミッド構造のコミュニティで「あなたの使命を教える」はおかしいですよね。霊的に「選ばれた」人間なんていない。仮にそんなことを言う人がいたら、そんなエゴがあっても繋がれるのはどんな存在か想像してみてほしい。

 自分でやれば人の言葉を盲信しなくてすむし、霊的な世界と繋がるのはおそらく多くの人が思うより難しくない。神秘家やスピリチュアリストで「この人は本当に繋がってる!」と思える人を探し、アレンジを加えず100%言う通りに―その人が成功したやり方(古今東西、大抵は瞑想だ)で、自転車に乗る練習をした時と同じように「できるまで」やる。端的に言えば、正しく瞑想し続ける気合いがあればできる。

 話をお寺に戻すと、私は墓じまいでもしない限りあのお寺に行くことはもうないだろう。都会のど真ん中にお墓を買って、ここならみんなが来やすいからと言っていた祖父母を思うと悲しいなと思うけど、別にお墓に行かなきゃ話せないわけでもなく…。最後どうまとめていいのかわからなくなってますが、別にお経を上げなくても成仏はできるし、お墓がなくてもどうってことないですよということは声を大にして言いたいです。

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