喜屋武岬・天使の梯子

高橋ハナのいといみじ 沖縄には天使がいると思う話 続き

 11月の沖縄、伊是名島でしこたまずっこけて手も足も微妙に挫きました。右腕は大きなたんこぶが引いたあと謎の紋様が浮かび上がり、お尻は1ヶ月経った今でも微妙に内出血の跡が残っています。一部始終を見ていた娘は、咄嗟に受け身を取った私の顔が面白かったとくすくす笑っていました。血管に沿って道教のお札みたいに広がった痣、気味悪すぎてヒイイイ!となりました。

 クバの御嶽はロープを駆使して腕の力を使わないと上がれないので途中で諦めました。自分は落ちたら死ぬようなところに散々行くくせに、娘が行くのは心配なんですね。姿が見えないので何度も「だいじょうぶー!?」と叫ぶうち、上から「着いた!来れた!!」と。首くらいの高さがある手前に傾いた岩を登った娘、普段からは考えられないガッツでした。

 そして春から行きたかったアブチラガマ。ガイドさんが涙ぐみながら「今ある生活をあたりまえだと思わないでほしい」と言った言葉が突き刺さりました。一時は二階建ての家が並び電気まで引かれていたという洞窟は想像以上に広く、ほかの場所には空気穴があって光も入るのに、重傷者が横たえられた深いエリアは真っ暗で食事も薬もなかったと…。入口近くに一般の住民、軍人は奥という住み分けもえげつないと思いました。戦争末期には爆弾が投げ込まれ、爆風で飛んだ金属の箱がガマの天井にへばりついたままになっています。

 ガイドさんは娘に「若い人たちに知ってほしい、お友達にも話してほしい」と言っていました。あとで娘と話したら、重傷者たちがいた深い穴の前で「上がりたい方ドゾー」と思いながら金の光の柱を立てたそうで、私は同じところで銀の柱を立てていたので笑っちゃいました。金でも銀でもお好きな方でどうぞ!って。夏には平和祈念公園に行き、犠牲者全員の名前を片っ端から全部目に入れて準備をしていました。

 そのあと具志川城跡に行ったとき…出会ってしまったのです、天使に。地元のお父さんの姿をしていました。具志川城の歴史や由来を教えてくれているうちに、「これから予定はあるの?」と言ったお父さん。「喜屋武岬までは危ないから連れてくよ」と言われ、お父さんの車に先導されて喜屋武岬に行くことになりました。植物が覆い被さったトンネルみたいな道は0.8車線のイメージ。あっという間に到着すると、お父さんはお礼を言う私たちにさっと手を上げ、来た道を戻って行きました。空を見るといわゆる天使の梯子。「ああ、私たちを喜屋武岬に連れてくるための天使だったんだ」と思いました。

 それから前回に書いたヤギちゃんたちの海岸に行ったら、海の家のお父さんも話しかけてくれて…。喜屋武岬まで先導してもらったと言うと「え…?具志川にそんな人いるかな… 聞いたことねえな…」と首を傾げていました。それは地元の人間か?などいろいろ聞かれたので、うんやっぱり天使だったんだな!ということで私の中で落ち着いています。むしろバナナやレモングラスの葉をくれた海の家のお父さんも天使だったような気もします。次はシュノーケリングに行ってみるかな。

 初めて行ってから何年も経ち、沖縄の神々は形を取らず全ての自然の中にいること、敬意を持たなければそこに足を踏み入れてはいけないこと、そして沖縄には人間の姿をした天使たちがいると理解するようになりました。帰ってきた次の日には「沖縄行きたい」などと言っている今、オレンジレンジの気持ちが少しわかるような気がします。

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